2004.10.10 NEW

 1998年開設時、このサイトには「加藤浩司ホームページ」というあんまりな名前が付いていた。以後いくつかの名前を経て今の名前になったのは2年ほど前のこと。
「私の奇行地」という、これまたあんまりなサイト名は、私の傾倒する今江祥智のエッセイ集「私の寄港地」(原生林/平成14年)にちなんでいる。1997年から2000年にかけて連載していたエッセイが1冊にまとめられたものだ。

 今江氏は、しばしば著書を今時珍しい箱(ボール紙のケース)入りで出版する。本の装丁に強いこだわりを持っており、とりわけバーコードを「美観を損ねる」と嫌う。その点、箱入りならばバーコードも価格も箱に印刷され、中の表紙に記載されるのはタイトル、著者名、出版社名のみとなる。
 果たしてこの「私の寄港地」、純白の表(おもて)表紙に印刷されているのは「MY FAVORITE THINGS」「YOSHITOMO IMAE」という銀色の小さな文字と、やはり銀色の控え目な装飾のみ。背表紙には同様のデザインで「私の寄港地 今江祥智 原生林」と日本語で書かれ、裏表紙に至っては真っ白。惚れ惚れするような上品なデザインなのである。

 中身はというと、見開き2ページごとに1編のエッセイが収められており、しかも全176編全てに宇野亜喜良による挿絵が付いているという贅沢なもの。(今江氏は挿絵にもまた人一倍こだわりを持つ作家であり、宇野氏とは1966年に絵本「あのこ」でコンビを組んで以来の付き合いである。)今江氏の好きなもの、好きな場所、好きな本、好きな人──について、軽妙に、しかし丁寧に語られた1冊。

 エッセイの新聞連載と同時期に、今江祥智は小説「袂のなかで」をやはり新聞に連載している。1回3ページという分量を来る日も来る日も書き続ける小説連載のことを、エッセイ集の「閑話休題」という項で、煎餅の手造りになぞらえて今江氏はこう語る。
「焦がしすぎてもいけない。生っぽくてはもっといけない。焼き加減が肝心なのである。火加減が大切なのである。裏返しどきを見損なってはいけない。(略)落ち着いて素早く、丁寧に上加減で──と自分に言い聞かせては今日もせんべい焼きを続けている。」
 なんだか今江氏の生き方そのものを語っているように思えてならない。その時その瞬間を丁寧に紡いで一日を「完成」させ、その一日一日をまた丁寧に並べて人生を形作って行く。「波乱万丈」という言葉がここまで不似合いな作家も珍しいのではなかろうか。実際には決して平坦な人生でなかったことは何冊かの著書を読めばすぐにわかるのだが、どんな境遇にあってもやはり丁寧に、そして穏やかに生きて来た人のように思えるのだ。

「私の寄港地」を私はゆっくりゆっくり読み進めている。読むのは大抵就寝前である。気が向くと手に取って箱から取り出し、ひとしきり表紙を眺めてから、しおりを挟んだページを開く。
 読むのは多くて3編程度。読み終えると陶然とため息をつき、表紙裏に書かれた「加藤浩司様 恵存 今江祥智」というおなじみのサインを眺め、本を箱に戻して電灯を消す。そんな風にして、2年あまりでようやく五分の四程度まで読み終えた。
 重苦しさなど微塵もないこの本を、なぜか私は一気に読む気になれない。軽妙に綴られた1編1編のどれもが、今江氏の紡いで来た長大な時間と空間を確かな感触をもって伝えてくれるからかも知れない。

 当サイトの開設の一番の目的は今江祥智を語ることであった。これまでは気に入ったサイト名が思い浮かばず何度も変更し、コロコロ変わるのを逆手に取ってネタにしていたものである。こうして駄洒落とはいえようやく今江文学にちなんだ名前を付けることができ、とりあえず満足している。満足の行く名前を付けた途端に更新が滞り出して羊頭狗肉もいいところなのは困ったものだが。

 今江文学のことを書いたのは本当に久し振りである。好きなものを語ることの難しさを改めて痛感している。その難しいことをさり気なくやってのけている「私の寄港地」にあやかりたいという思いをこめて、このサイトを「私の奇行地」と名付けた。わけでは別にないんですけど。 

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