細切れコラム4 ま‐やく【麻薬・痲薬】 <まとめ> <ご参考>
ライブ in カメリアホール・続(2005.5.4)
2004年11月28日のライブの報告。半年近く経っているのはきっと気のせいです。
自分が遅刻して落ち着かなかったこともあって今ひとつ確信が持てなかったのだが、どことなく散漫な印象を受けていた。
釈然としない心持で出口へ向かうと、ヒゲのおじさまから声を掛けられる。ライブの後によくおごってもらったりご馳走してもらったり酒を振る舞ってもらったりしている私の大切なお方。演奏に関する批評には、私はかなりの信頼を置いている。
そのオジサマが、錦糸町の焼肉屋で乾杯するや開口一番……え〜と、書いていいのかな、どうしようかな、う〜ん、書いちゃえ、「地に堕ちたね……」グゥ。
フルメンバーでなかった(ブラスやドラムはなかった)ため編曲が付け焼刃だったとか、ゲストに気を遣ったとか、本領を発揮できなかった要因はいくつかあるのだろう。とにかくディアマンテスならではの吸引力を感じなかったという点で意見の一致を見た物悲しい晩でありましたとさ。
次にディアマンテスのライブに行けるのはいつになるかわからないが、この日の鬱屈を吹き飛ばすステージになることを願う。
ライブ in カメリアホール(2005.1.16)
2004年11月28日午後。
さ〜てそろそろ出発するかな。
来客。
ありゃりゃ、これじゃギリギリ間に合わない。開始が少し遅れてくれるのを期待しよう。
横浜駅。
おおっと、電車来てるよ。ベル鳴ってるよ。もしかしてこれに乗れば間に合うんじゃないか。スタタタタ、よっしゃ間に合ったぞハァハァハァ。
「この電車は湘南・新宿ライン××行きでございます。」すいません、東京に行きたいんですが。そっちじゃないんですが。
車内の路線図をじっと見る。
<1>大崎から埼京線 <2>新宿から中央線
選んだのは<2>。(後で調べたら《恵比寿−(山手線)−代々木−(総武線)−亀戸》が一番ましだったと判明。)
会場入りしたのは開始30分後。なんてこった。会場からは当然アルベルトの声が響き渡っている。
私が着いてから2曲程度唄った後に桑江知子登場。トークを交えて数曲。年季の入った歌い手という印象。さてそろそろディアマンテスのみのライブに入るのかなと思った矢先に「次の曲で最後です」。ちょちょちょちょちょっと早すぎませんか。(締めが共演だったか単独だったか思い出せず。すんません。)
と思いきやアンコール曲がやたら多く安堵。(つづく)
こんなところにアルベルト(2004.10.5)
プロレスリング・ノアに秋山準という選手がいる。ここのコラムで取り上げたことのある小橋建太の弟分であり最大のライバル。今年の7月には東京ドームでその小橋と対戦、プロレス史に残る名勝負を繰り広げた。
彼は実力は一級品だがよくも悪くも爽やかなスポーツマン然としてカリスマ性に欠け、人気面では今ひとつだった。しかしここ2〜3年の間に急速に色気を持ち始め、レスラーとしても人としても円熟を感じさせるようになった。
この秋山が、少し前からヒゲを伸ばしている。これがなかなか似合っており、しかも、どことなくアルベルトを彷彿させるのである。
とはいえディアマンテスのイメージに最も合うレスラーはやはり小橋に尽きる。なにしろ「何か一言」と言われて色紙に書く言葉が「一生懸命」。ぎゃはははは!と思わず笑ってしまうが小橋なら許す。
一方秋山は「僕的には“Take it easy”なんですけどね」というセリフからもわかるように、とてもバランス感覚の優れた人である。ポジティブ一直線のディアマンテスの曲とはあまり結び付かない。
そんな秋山のヒゲ面は、さしずめ「ちょっぴりヒネたアルベルト」といったところ。興味のある方はプロレスリング・ノア中継でご覧あれ。
http://www.ntv.co.jp/noah/
これがヒゲのない頃の秋山。まるっきり似てませんね。
http://www.pia.co.jp/hot_sports/hone/0703.html
3年ぶりのコラムはプロレスネタでありました。末期症状だな。
小橋建太については欠場時にこのコラムで取り上げたきりになっていたが、その後完全復活を遂げ、チャンピオンとして10度の防衛に成功している。
今気が付いたが、アルベルトは1966年6月生まれ、小橋建太は1967年3月生まれ。日本式に言えば「同学年」である。
監督責任(2001.11.9)
あるマスコミ関係者による「照屋林賢の責任問題」という主張について、何人かの知人に意見を求めてみた。そうしてまとめ上げた見解を以下に述べる。内容は殆ど受け売りである。
<法的意味合いでの責任=監督責任>
以下は民法第七一五条の一部分を、言葉を噛み砕いて書き改めたものである。
「使用者は被使用者が事業において第三者に加えた損害を賠償する責任を負う」
つまり工事現場で作業員が通行人に怪我を負わせたら、社長に責任が及ぶという当たり前の話。
りんけんバンドに当てはめるなら、コンサートの最中にメンバーがファンに暴行を働いた場合はリーダーの照屋氏にも責任が及ぶということだ。しかし、メンバーの私生活にまでリーダーに責を負わせるような法律は存在しない。
したがって照屋林賢氏に法的責任はない。
<道義的意味合いでの責任>
では道義的にはどうなのか。これは前述のように、上司が部下の私生活にまで目を光らせる義理などありはしないだろう。それは「監督」というより「干渉」というべきもので、むしろやってはいけないことである。
もしそのような責を負わせる風潮があるとしたら、風潮自体がおかしいと言うべきであろう。会社員が出勤電車で痴漢行為をはたらいて、その上司まで咎められたのではたまったものではない。
したがって照屋林賢氏には道義的責任もない。
<結論>
りんけんバンドのリーダーに、メンバーの「生活指導」の義務はない。
したがって、照屋林賢氏に「監督責任」を問うのは一部マスコミの言い掛かりである。
<補論1:個人対個人>
照屋林賢氏が「彼の苦しみに気付いてやれなくて申し訳ない」と<責任>を感じることはあるかも知れない。しかしそれは個人対個人の問題であり、世間に対して「すいません」と頭を下げるような性質のものではないだろう。
<補論2:被害者は誰か>
我喜屋氏の逮捕による、りんけんバンドのイメージダウンは避けられない。つまり、この件でりんけんバンドは被害者なのである。被害者に責任を追及するなど筋違いも甚だしい。これはバンド在籍時の逮捕でも同じことだろう。
尚、「被害者はファンである」というジョークに付き合う気はないので念のため。
麻薬レポート(2001.10.29)
<広辞苑第四版より>
麻酔作用を持ち、常用すると習慣性となって中毒症状を起す物質の総称。阿片・モルヒネ・コカインの類。麻酔剤として医療に使用するが、嗜好的濫用は大きな害があるので法律で規制。
かくせい‐ざい【覚醒剤】
中枢神経系を興奮させ睡気をおさえる薬。塩酸メタンフェタミン(ヒロポン)・硫酸アンフェタミンなど。常用すると習慣性となり中毒をおこす。
たい‐ま【大麻】
(3)アサの別称。
(4)アサから製した麻薬。栽培種の花序からとったものをガンシャ、野生の花序や葉からとったものをマリファナ、雌株の花序と上部の葉から分泌される樹脂を粉にしたものをハシーシュといい、総称して大麻という。喫煙すると多幸感・開放感があり幻覚・妄想・興奮を来す。
りんけんバンドのファン達よ・補(2001.10.27)
りんけんバンドのファン達よ(2001.10.26)
元りんけんバンドの我喜屋良光が大麻所持(現行犯)および覚醒剤使用(容疑)で逮捕――この報にファンは随分と動揺している様子だ。オフィシャル掲示板は少しばかり不穏な状態にある。管理者がマスコミに向けて「ファンが動揺するから“元りんけんバンドのメンバー”という記述はやめてほしい」と要求したのは場を和ませるためのジョークにちがいない。なんて嫌味はほどほどにして、掲示板での発言に見られる傾向から感じたことを述べてみたい。
そもそも「覚醒剤使用は悪いこと」という大前提がおかしいのではないか。もちろん殆どの場合においては悪い。確かに悪い。とても悪い。「ダメ。絶対。」キャンペーン大賛成だ。
だが「覚醒剤をやるのは悪いことであり許されないことであり悔い改めるべきである」と断じるのは危険なことだ。こういう発想を「紋切り型」という。そこから生まれるものは何もない。
もちろん、覚醒剤を取り締まる法律の存在価値を否定する気はない。世の中が立ち行くためには、判断を下すための物差しは必要だろう。だが「法律がこうだから」という理屈でもって人の行動を正確に評価できると思ったら大間違いだ。元来、行為の表面だけを指して「これはやってはいけないこと」などと断言できるものは何ひとつないはずだ。
だから「覚醒剤使用→失望」という反応は明かに飛躍している。どのような経緯で当人が覚醒剤を使うに至ったかを検証しない限り本質は決して見えない。そこをなおざりにして「反省しろ」もないものだ。
断っておくが、私はそれほど熱心なりんけんバンドのファンではない。
我喜屋良光という名前すら知らなかったし、読み方は今も知らない。逮捕されたとの情報にもさしてショックは受けていない。彼を殊更庇う気もない。私は「彼は悪くない」と言いたくてこれを書いているのではない。そこは勘違いしないでもらいたい。
我喜屋氏はもちろん法の裁きを受けるべきだろう。これを機に麻薬や覚醒剤の取締りが強化されてほしいとも思う。しかしそれはそれだ。
ひとつの可能性を考えてみよう。(あくまで可能性である。私がそう推察しているわけではない。)
もしかしたら、我喜屋氏は<覚醒剤と共にある生>もしくは<死>という二者択一に迫られていたのではないか。つまり、肉体的にか精神的にか七転八倒の苦しみに直面し、それに耐えかねての苦肉の策だったのではないか。社会生活を営むために、覚醒剤によって辛うじて精神の均衡を保っていたのではないか。
覚醒剤の危険は百も承知。だがこれを使わねば生きて行けない――そんな選択に迫られての覚醒剤の使用だったとしたら、彼を非難することは私にはできない。
「ソレハ自分ノ弱サニ負ケタノデス」などという「正論」でもって切り捨てるのは愚の骨頂と言っていい。そういうことを口にする人間は、極限の苦しみに対する想像力のなさを恥じるがいい。
傍目には愚かな行為でも、当人からすればそうなる以外に道がなかったというケースは往々にしてあるものだ。「彼は弱い」「彼は悪い」では何の解決にもなりはしない。大事なのは、一体何が彼をそこまで追い詰めたのか、なぜそうなる前に周囲が救いの手を差し伸べてやれなかったのかといった因果関係をとことん突き詰めることだ。そうして我喜屋氏や隣人の苦しみを<自分自身の苦しみとして>見つめることによって、初めて事件に真正面から向き合ったことになる。
そうした段階を踏みもせずに「彼は悪いことをした。心を入れ換えてがんばってほしい」などと口走る手合いの何と多いことか。一見温かく良識に溢れているようで、その実当事者の内面に一切切り込むことなく傍観しているだけの偽善的態度にはむしずが走る。
りんけんバンドのファン達よ、我喜屋氏に幻滅するのはまだ早い。批判するのもまだ早い。「大麻所持」「覚醒剤使用」という行為の表面に惑わされずに本質を見よ。そして見えないうちは判断を下すな。とことん向き合え。とことん関われ。それがファンというものだ。
アルベルト改名に思う(2001.10.15)
「アルベルト城間」から「アルベルト」に芸名が変わったのは2000年7月のことである。
「みんな、アルベルト、アルベルトと呼ぶから、その方が覚えやすいし、短いし。判りやすいし。」(MUSIC MAGAZINE 2000年9月号)
そうアルベルトは説明するが、私はアルベルト城間のままの方がよかったのではないかと思っている。
第一に、アルベルトという名のアーチストは他にもいるということ。
「ぴあ」などのホームページでコンサート情報を検索すると、違うアルベルトさんのデータもヒットしてしまい紛らわしいことこの上ないのだ。(事実、アルベルト初のソロライブの情報を見付けた時、ディアマンテスのアルベルトなのかわからずチケット購入を躊躇したファンがいる。)
ミュージシャンに限らず、作家、俳優、スポーツ選手など各分野に同じ名前の人がいても不思議はない。話題にするにも芸名が「アルベルト」では、この先彼がどんなに有名になっても「ディアマンテスのアルベルト」と言わねばなるまい。その点「アルベルト城間」ならそうした面倒が起こる心配はない。さすがに同性同名の有名人は現れないだろう。
第二に、カタカナ−漢字という組み合わせはアピール度が高いということ。
「アルベルト城間」は字面がまず目立つし、カタカナが混じっていることで彼の生い立ちや沖縄で活動するに至る経緯、ひいては彼の音楽への興味も掻き立てられる。つまり名前そのものが「日系ペルー人3世が沖縄でラテンロックをやっている」という宣伝になるのだ。言ってみれば、カタカナと漢字の混じった名前は「チャンプルー」というディアマンテスの謳い文句を象徴しているのである。
こんなにいいことづくめの名前を使わない手はないと思うのだ。もし彼の名が「城間和夫」だったりしたらそうは行かない。