しみじみディアマンテス


出会い
 ディアマンテスとの縁は、大学の第2外国語でスペイン語を履修したことに始まる。スペイン語を選んだ理由は、英語に次いで広く使われている言語だと親に聞かされたという、それだけのことだった。文化、芸術、歴史……知識も興味も殆どなかった。
 しかし幸運にも人柄も教え方もいい講師に恵まれ、性に合ってもいたのだろう、授業は楽しかった。日本人にとって発音が易しく、また英語よりずっと「言葉」として親しみの持てる響きを持つ言語だとわかってからは、多少かじっておくのも悪くないと思うようになった。
 講師の指示で観るようになった教育NHKの「スペイン語会話」という番組で、ある日アルベルト城間なる日系ペルー人のミュージシャンの特集が組まれた。初めて聞く名前だった。
 祖父母が沖縄出身であること、彼の才能と人柄に惚れ込んだボブ石原に誘われディアマンテスなるグループを結成したこと、日米混血で日本育ちの女性と結婚していることなどを知った。
 だがすぐに彼らの音楽を聴こうとは思わなかった。不覚にもこの番組を観た時のアルベルトへの印象は「まずまずの好感」という程度のものでしかなかなったからである。番組内で「アルベルトの笑顔を見て鳥肌が立った」とボブ石原は語るが、少し流されたコンサートの映像を見ても今ひとつピンと来なかった。
 また、当時私はロックに関心がなく、CDといえばゴダイゴのベスト盤くらいしか持っていなかった。
(余談だが、アルベルトの唄う「銀河鉄道999」はぜひ1度聴いてみたいものである。ディアマンテスファンにゴダイゴのファンは多い。)



アルベルトに惚れたわけ
 アルベルトに決定的に惹き付けられたのは、その後ドキュメント番組「ETV」を観た時である。45分だったか60分だったか、あるいは2週にまたがるものだったか記憶は定かでないが、演歌歌手を目指して日本に来てからの苦悩、挫折、そして沖縄での再起、出会いといった経緯が詳しく紹介された充実した内容だった。 
 日本に来てからの足跡を自ら振り返って、苦労を殊更強調するでもなく、少しはにかんだような笑顔を絶やすことなく淡々と語るアルベルト。「初めて会った時から彼のことが大好きだった」と語る義母の横で照れるアルベルト。生まれたばかりのわが子への気持ちや、ミュージシャンとしての志をてらいなく話すアルベルト。
 こんなにも濁り気のない人がいるものなのか。ボブ石原がほれ込んだ「笑顔」とはこれだったのかと、ようやく合点が行くと共に、番組終盤に少し流れた「アスタ・マーニャ」の旋律にも惹き付けられた。
 数日後、私は1枚のCDを手に入れた。「アスタ・マーニャ」が収録されているディアマンテス2枚目のアルバム「エスペランサ」である。あれほど魅力的な男の音楽が人の心を打たぬわけがない。その一心で、食わず嫌いの傾向がある私が珍しく未知の音楽に手を伸ばした。

 私はこのアルバムを聴いて一遍にディアマンテスのファンに――と言いたいところだが、はじめはやや荒削りな印象を受け(唯一の比較対象がゴダイゴだったから致し方ないところではある)、また馴染みのないロックということもあってか、2度3度と繰り返し聴くにつれて、どうもこのアルベルト城間という人はとんでもない歌手のようだとようやく気付き始めたというのが正直な所だ。
 1曲1曲が、アルベルトの挫折、再起の道程と重なって迫って来た。まっすぐな曲、まっすぐな唄い方、人柄同様濁りのない声、聴けば聴くほどジワジワと胸に染み入った。
 そう、「染み入った」のだ。ディアマンテスの音楽は、私にとって「胸に染み入る音楽」なのである。このことが後に、私にちょっとした鬱屈をもたらすことになる。
(つづく)


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