プロレスはインチキか


回答三態
「プロレスはインチキではないのか。」
 この疑問を持ったことのない人はいないだろう。無論プロレスファンとて例外ではない。ではプロレスを支持する人達はこの疑問に対しどんな回答を持っているのだろう。ファンの答えは大きく分けて3通りある。

1.真剣勝負派
「プロレスは強さを競う真剣勝負である。」
 →では傍目に不自然と思える動きの数々をどう説明するか?

2.シナリオ派
「プロレスにはシナリオがある。その前提で映画のように楽しむものである。」
 →では筋書きの存在を否定するプロレスラーは皆嘘つきか?

3.何が言いたいのかよくわからない派
「プロレスは見せることを重視したエンターテイメントである」
 →答えになってない
「選手はファンを楽しませるのに真剣である。したがって真剣勝負である」
 →論点が違う
「真剣勝負を突き詰めれば殺し合いになる。だから[真剣勝負でない=インチキ]とは言えない」
 →誰もそんなこと聞いてない
「自分が見て真剣勝負と思ったのなら真剣勝負である」
 →おのれはカルト教信者か
「プロレスを楽しむには特別な感性が必要である」
 →「特別バカ」なだけかもよ
「インチキであろうとなかろうと面白ければそれでいい」
 →シンナーでも吸ってなさい

 万人を納得させ得る説明はかように難しい。ここではプロレスへの世間の疑問ひとつひとつに対し、自分なりに得た回答を綴って行きたい。プロレスの不透明な部分から目をそらす気は毛頭ない。インチキは嫌いだ。
 執筆に並行し、プロレスファンでない方から疑問を寄せていただければ幸いである。


野暮な論争
 私の周りには、八百長かどうかという議論に積極的なプロレスファンはいない。かくいう私も以前のようにむきになって人に説明するということはなくなった。大変なエネルギーを要する割に成果が少ないからである。
 プロレスに無関心な人に向かって「プロレスというものは……」などとやり始めたところでうるさがられるのが関の山。首尾よく相手の認識を変えられたとしても、プロレスに興味を持つかどうかは別問題だ。インチキでないプロスポーツなどはいて捨てるほどあり、それ自体は偉いことでもなんでもないのだから。「フーン、インチキじゃないんだ、あっそう。」
 要するにプロレス八百長説への反論は「野暮」なのだ。
 私はプロレス八百長論者の認識を変えることを狙ってこれを書いているのではない。人から「プロレスはインチキだという人もいるが実際はどうなのか」と尋ねられた時の回答として、私自身のプロレス観を整理しておきたいだけである。


結論から
 以下は「こうではないか」という私なりの結論であり、確固たる裏付けがあるわけではない。念のため。
  1. ファンである私の目から見ても不自然な試合はある。したがってプロレスの世界は真っ白ではない。そして私はこれを支持しない。
  2. しかし強さを競って凌ぎを削る「勝負」としてのプロレスもある。私が支持するのはこれ。
  3. プロレスの試合ではセオリーが重視される。しかし技術の未熟な選手がセオリー通りに動いても実践的な効果がなく「馴れ合い」となることがままある。そこを突いてインチキと言われると辛い。
  4. ひとつの試合の中に、対戦する選手同士が「協力」して面白い場面を作る側面と、純粋に勝敗を競う側面が入り混じっていることが多い。これまたインチキと言われる要因であり、私はこうしたプロレスを好まない。
  5. 周到な演出(例:テーマ曲に乗っての乱入)でもって興行を盛り上げ、シナリオの存在を隠そうとしない路線のプロレス団体もある。これは「インチキ」の範疇からは除外されるだろう。


よくある質問
  • 選手はなぜ押されただけで走るのか。なぜロープを掴まず跳ね返って行くのか。
  • 技がかすっただけでなぜ倒れるのか。
  • 柔道やアマレスではなかなか技が決まらないのになぜプロレスでは簡単に決まるのか。
  • トップロープからの落下技をなぜよけない(よけられない)のか。
  • なぜ肝心な試合で皆勝つのか。
  • プロレスラーが他の格闘技の選手と対戦したりバーリ・トゥード(PRIDE)で闘ったりする時は、なぜプロレス技をどんどん出さない(出せない)のか。
  • 空手やボクシングではしばしば一撃で勝負が付くのに、プロレスではなぜ1試合にあんなにたくさんの技が出るのか。(つづく)



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