(99.6.5〜99.6.22)
301 | Re:ドラゴンスピリットはいずこ 投稿者:いどっち 投稿日:99/06/05(Sat) 04:38 |
こんばんは。 お邪魔させていただきます。 > これは「文法をふまえているからよい曲」というより「よい曲」に見られる共通した規則性が「文法」として確立されたということでしょうね。 はい、私もそう思います。 曲を評価するのに形から入る姿勢は、私には多少納得できない部分があります。 > その音楽を自分がどう感じたかが大事だという理屈は至極もっともで、とりあえず誰も反論できはしないのですが、それでもなお世間の評価といものをなおざりにできないたちなんです。 > > 「世間の評価は高いけれど自分は感動できなかった」といった曲を、何度も繰り返し聴くことによってそのよさがわかって好きになったり、またそうしたことを繰り返すことで音楽的感性の広がりを実感することがあります。 > それでも本当のお気に入りというのは初めて聴いて気に入ったものが殆どですけどね。 なるほど、おっしゃる通り、私もそういう部分はあると思います。 ですが、残念ながら私は今まで、そう言いました姿勢は取って来なかったですね・・・。 確かにそうしますことで、初聴(?)の段階で、自分がピンと来なかった曲が、良い曲であると気付くことはあると思います。 ですが、その曲が自分の好きな曲になってしまいますのは、私も稀なことであると感じます。 先ほどの「文法」の話ともリンクしますが、このような私の音楽に対します姿勢は、私が音楽に対する知識をほとんど持っていないという点に集約されると思います。 もちろん、知識は無くとも、感覚的に良いと感じた曲が名曲であるということは間違いないと思いますが、それとは別に、音楽に対する知識、理解を深めることで、より深い部分で曲を楽しめる部分があるのですね。 (実は常々、勉強したいとは思っているのですが・・・。) > ジャンル分けを嫌う人は多いですね。 > 「音楽には優れたものとそうでないものがあるだけだ」という誰だったかのセリフはまことに格好いい。 > その意味では「クラシックはいい」「ロックはいい」といった論調でものを言うのは危険かも知れませんね。 > けれども、それぞれの国で育まれた音楽を、精神的土壌や表現方法の差異によって区別するのはちっとも不自然なことではないと私は思っています。 私もそう思っています。 分類自体が問題なのではなく、それらに優劣を付けるのが問題だと思っています。 ただ、私自身の感じ方としますと、あまりそれらのジャンルを分けて音楽を考えることはありません。 (この部分も、私の音楽に対する知識量と関わって来るようです。) > これはもう、ゲーム界の先行きを見守るほかなさそうですね。 > 漫画やアニメだって、これほど奥深い表現法だなんて昔は誰も思っていませんでしたし。 > もしかしたらゲーム界でも誰かがとんでもない革命をやらかすかも知れない……とりあえず私は実現しない方に千円(笑)。 う〜ん。私はすでに実現している部分はあると思うのですが・・・。 (もちろん「FF」ではありません。) ともかく今でも、作り手側がそう言ったことを意識してゲームを制作している部分は、十分にあるかと思います。 > ああ、これ補足。 > 「ゲームのために作られたのではない既存の名曲をゲーム音楽として使い、それがピタリはまってしまったら」 > というケースではどうかということです。 なるほど、そうでしたら、その曲は名曲であり、良いゲーム音楽でもあるということになると思います。 前回御指摘されました、「ゲーム音楽」とは曲の種類を表す一分野ではない、ということですね。 > いえ、私が勝手にやったことでございます。 > 長文禁止というわけではありませんのでお気になさらぬよう。 恐縮です。了解いたしました。 > > 次回は、「ナムコ」の話でも・・・。(「ナムコミュージアム」6本全部持っています(笑)。) > > おや私も6本持ってます。 > 「ドラゴンスピリット」はまだクリアしてません。 > もっともこの1年で2〜3度しかプレイしてないですけど。 さすがに、あのゲームをTVでやるのは辛いところがあると思います。 (私はこの前まで17インチでゲームをしていましたので・・・。) 私は「ドルアーガ」が大変好きでして、当時は宝箱の出し方も全て覚えていたものです。 アーケード版をやるためには中古基盤を買うしかないのかな、と思っていましたが、あのような形で復刻されまして本当に嬉しかったです。 > ゲームミュージックのことで付け加えると、私が盛んに聴いていた頃のものというのはハード上の厳しい制約の中で作られていたものばかりで、「このハードでここまでやれるのか」「ハードの進歩もここまで来たか」といった種類の感動がかなり多かったように思います。 > つまり音楽そのものに対する純粋な感動以外の要素がかなり大きかったわけです。 > そうした要素がなくなりつつある今、果たしてゲームミュージックがどこまで存在感を示すことができるかどうか興味津々です。 なるほど、よく分かります。 私はそのときそのときの音源のスペックを、やむを得ないものと捉えていましたので、そういう考え方をしたことはそれほどはありませんでした。 その場合でも、やはり良い曲は良い、という感じです。 当時の名曲は、まさにそのときの音源にぴったりと合った曲であったと思います。 FM音源の曲を、高性能なMIDIでアレンジしたものがCD等でありましたが、(アレンジの仕方にもよると思いますが、)FM音源のバージョンの方が、なぜか良かったと感じることが、私の経験では多かったと思います。 それでは、またお伺いします。 失礼いたしました。 |
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302 | ドストエフスキー掲示板といい勝負 投稿者:泉泰弘 投稿日:99/06/06(Sun) 09:40 |
いったい何なんですか!のところの長文投稿ラッシュは。全く以て素晴らしい!!そのうちお仲間に入れてもらおうかしらん? さて、数百年経った時に「20世紀後半は音楽不毛の時代だった」と言われないかが心配だ、と誰かが書いていました。さらにその人は「その時まで忘れ去られずに『クラシック』として生き残っているのはビートルズかもしれない」とも言っていました。僕もこの考え方はあながち的外れとは思えません。さらに、僕なら19世紀までのオペラに相当するという点で映画音楽も加えたいし、現代のクラシックよりも断然知名度が高いということを考えると、ゲーム音楽を候補に加えても良いかなと思っています。 みなこさん >す、すばらしいですぅ。(^-^) どのくらいの期間だったのでしょうか? >楽しいことも たくさん経験されたのでしょうね。 通常の活動期間は2年なのですが、半年延長しました。 楽しいことも苦しいことも数え切れぬほどありました。 僕の人格を決定する上で決定的な役割を果たした2年半だと思っています。 加藤さん >あの、泉さん……1日16〜17通というのを真に受けられては……。 僕は人から「あなたの言っていることはどこまでが本気でどこからが冗談かが全然分からないことがある」とよく言われます。(自分の生き方自体にそのようなところがあるので、無理もないことなのかもしれません。)したがって、他人の発言に対して本気か冗談かの計量を誤ってしまうことも多いのではないかと考えています。 |
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303 | 今日は控えめに 投稿者:加藤 浩司 投稿日:99/06/06(Sun) 23:34 |
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もちろん、知識は無くとも、感覚的に良いと感じた曲が名曲であるということは間違いないと思いますが、それとは別に、音楽に対する知識、理解を深めることで、より深い部分で曲を楽しめる部分があるのですね。 > (実は常々、勉強したいとは思っているのですが・・・。) 「名演」と呼ばれるものを聴いた時の感動というのは 「なんていい曲なんだ」と「なんて上手いんだ」の2つがあると思うんですが、私の場合はいどっちさんと同じで前者が殆どですね。 音楽を聴くための勉強をという気持ちは、正直言って私にはあまりないです。 > > もしかしたらゲーム界でも誰かがとんでもない革命をやらかすかも知れない……とりあえず私は実現しない方に千円(笑)。 > う〜ん。私はすでに実現している部分はあると思うのですが・・・。 > (もちろん「FF」ではありません。) > ともかく今でも、作り手側がそう言ったことを意識してゲームを制作している部分は、十分にあるかと思います。 あらま。 私は最近のゲームについては殆ど知らないので、あくまで表現方法の特徴から推測することしかできないのですが、本当に実現しているとしたら凄いことだと思います。 今後ゲームが物語を表現する手段として確立されるかは、「ゲームでしか表現できないもの」があるかどうかに掛かってくるでしょうね。 文学、演劇、漫画、映画、アニメーションなどは、それぞれの媒体ならではの表現があるからこそそれぞれに存続しているわけで、そうしたものがゲームにあるのかとなると、「ある」と断言できる段階まで来ているのかという点が気になります。 他の表現方法にないゲームの特徴と言ったら、物語に受け手(プレイヤー)が介するという点に尽きると思いますが、これは物語作り(人間描写)にはむしろ足かせになるのではないかというのが私の意見なんです。 もしそうだとしたら、物語としての面白さを追求する上では映画やアニメーションに勝る要素がないように思います。 このあたりは作り手がどう考えているのか知りたいですね。 そうした人達が文学や映画に対しどの程度の造詣があるのかという点も含めて。 > > 「ドラゴンスピリット」はまだクリアしてません。 > > もっともこの1年で2〜3度しかプレイしてないですけど。 > > さすがに、あのゲームをTVでやるのは辛いところがあると思います。 ふっふっふっ。私は14インチのディスプレイを縦に置いてプレイしているのですこぶる快適です。 > 当時の名曲は、まさにそのときの音源にぴったりと合った曲であったと思います。 > FM音源の曲を、高性能なMIDIでアレンジしたものがCD等でありましたが、(アレンジの仕方にもよると思いますが、)FM音源のバージョンの方が、なぜか良かったと感じることが、私の経験では多かったと思います。 特にPSGの時代のナムコの音楽は、ゲームとまさしく一体になって独特の世界を作り出していて、上質の4コマ漫画を見るような感動がありましたね。 これもハードの制約ゆえの感動と言ってしまえばそれまでですが、実に見事だったと今でも思います。 あ、泉さん、一応補足しますと、私のサイトの常連さんが5,000人というのはどう考えてもあり得ないことです。 ここのアクセス数が1日10前後、あちらが60〜70程度ですから。 音楽史の中で今がどんな状態にあるかというのは……正直まるで考えが及びません。 |
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304 | 今日は長文で(大変失礼いたします・・・) 投稿者:いどっち 投稿日:99/06/10(Thu) 19:04 |
お邪魔します。 お返事が遅れてしまいまして、大変申し訳ありませんでした。 > 私は最近のゲームについては殆ど知らないので、あくまで表現方法の特徴から推測することしかできないのですが、本当に実現しているとしたら凄いことだと思います。 > 今後ゲームが物語を表現する手段として確立されるかは、「ゲームでしか表現できないもの」があるかどうかに掛かってくるでしょうね。 > 文学、演劇、漫画、映画、アニメーションなどは、それぞれの媒体ならではの表現があるからこそそれぞれに存続しているわけで、そうしたものがゲームにあるのかとなると、「ある」と断言できる段階まで来ているのかという点が気になります。 > 他の表現方法にないゲームの特徴と言ったら、物語に受け手(プレイヤー)が介するという点に尽きると思いますが、これは物語作り(人間描写)にはむしろ足かせになるのではないかというのが私の意見なんです。 > もしそうだとしたら、物語としての面白さを追求する上では映画やアニメーションに勝る要素がないように思います。 > > このあたりは作り手がどう考えているのか知りたいですね。 > そうした人達が文学や映画に対しどの程度の造詣があるのかという点も含めて。 まず、これらは私見なのですが、「ゲーム」と呼ばれるものに関しましては、それこそ凄い数のジャンル、そしてそれぞれに可能性があると思うのです。 言葉にしますのはなかなか難しいのですが、活字で表現される物語(小説など)や、活字+絵で表現される物語(漫画など)、映像で表現される物語(映画、アニメなど)を包含する形で、それらに「双方向性」を付け加え得る形で「ゲーム」が存在すると言える部分があると思うのです。 「ゲーム」の定義として、とりあえず、今現在「家庭用ゲーム専用機」で出されているソフトの全てを、「ゲーム」に含めても良いとしますと、まず、TV画面上に表示される文章を読んで行く「サウンドノベル」というジャンルは、小説に該当します。(いわゆる「電子ブック」と同じものです。) それから、「デジタルコミック」と呼ばれます、プレイヤーが介入出来る余地が少なく、話を進めて行くだけのソフト。(ゲーム性が低いという意味で揶揄されて「電脳紙芝居」とか言われたりしています。)これらは、「漫画」や、(音声、動画がある場合は)「アニメ」と同じものだと見ても良いかと思います。 つまり、ゲームは、物語のあらゆる表現技法を全て含み得る点を持っていると言えると思うのです。 もちろん、アクション性の高い、従来の意味での「ゲーム」という分野も、物語性とは切り離された場所に存在します。(ですが、場合によってはそれらの融合も可能だと考えます。) さて、そこで、「ゲームならでは」の部分なのですが、ご指摘の通り、(擬似的ではあれ、)ゲームの持つ双方向性が、その最大のポイントかと思います。 「物語性」を追求したゲームは、いわゆる「アドベンチャーゲーム」と呼ばれる、動きの少ない(反射神経をさほど要求されない)タイプのゲームに多いと思います。 一例としまして、ここ5年ほど、その分野ではやっているゲームシステムで、「マルチエンディング」と呼ばれるタイプの、アドベンチャーゲームの一形態があります。 これらは、プレイヤーの選択によって、話の流れ、また結末が変わっていくタイプのものです。ここでポイントなのは、ゲームを作る側が、あらかじめ色々な話の流れを決めておいて、プレイヤーがその筋を追って行くという造りになっているという部分です。 これによって、ゲームの中で、(あくまでも「仕組まれた」部分の)物語性を高めることに成功しています。 それから、最近はゲームも、システム面、ストーリー面共に、かなり複雑化してきました。 シンプルであるが故に、奥が深く面白いというゲームは、皆無と言っても良い状況だと思います。(そのかわり、たまにそういったゲームが登場しますと、大人気になります。「パラッパ」などが、それに該当すると思います。) それで、ゲームの複雑化によって、プレイヤーによってはっきりと好みが分かれるということが、顕著になってきていると思います。 このあたりは、バランスが非常に難しいと思うのですが、その分、気に入った作品は本当に感動を得ることができると思うのです。 最後に、私が最初に、ゲームに「深い物語性」を見いだしましたのは、だいぶ前の「スナッチャー」という作品です。 今、やってみますとなんでもない(失礼)のですが、当時はゲームで初めて、「物語性」といった種の感動を得たのを覚えています。 作者は、コナミの小島氏です。 氏は大変な映画好きらしく、映画コラムを昔、ゲーム雑誌に(!)連載されていたのを覚えています。 「スナッチャー」にも、たしかに映画で使われる表現技法がたくさん盛り込まれていました。 あれは、初めて実現したところに価値があると思います。 書き始めますと、きりがありませんので、このあたりで失礼させていただきます。(十分長文でした。申し訳ありません。) 最後に、私は別にゲームに詳しいわけではありませんので、(最近はほとんどやっていません。)これが、ゲームファンの一般的な考えではありません、ということをお断りさせていただきます。 > > さすがに、あのゲームをTVでやるのは辛いところがあると思います。 > > ふっふっふっ。私は14インチのディスプレイを縦に置いてプレイしているのですこぶる快適です。 「縦置きディスプレイ」ですか! それは素晴らしいです!! 私も、いつの日か、とは思っているのですが・・・。(値段が結構しますから・・・。) > 特にPSGの時代のナムコの音楽は、ゲームとまさしく一体になって独特の世界を作り出していて、上質の4コマ漫画を見るような感動がありましたね。 > これもハードの制約ゆえの感動と言ってしまえばそれまでですが、実に見事だったと今でも思います。 私は、やはりその時代は、ファミコンの音源で作られた曲を思い出します。 (ゲームセンターでは騒音が多くて、曲はあまり聴けませんでしたから・・・。) ですが、そのころはまだ子供でしたので、ハードの制約を意識したことはあまりありませんでした。 そのあたりを意識しはじめましたのは、98のFM音源ぐらいですか・・・。 それでは、またお伺いさせていただきます。 長文投稿で本当に失礼いたしました。 失礼いたします。 |
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305 | 嬉しいぞぉ 投稿者:みなこ 投稿日:99/06/11(Fri) 00:49 |
わ〜い、ボーナスだー!! ♪嬉しいナったら、嬉しいな。q(^-^q) ・・・・。ちょっと、短文すぎたカナ? 人の目にやさしい(読みやすい?)投稿でした。 あ、下↓の文章もちゃんと読んでますヨ。念のため。 |
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306 | 喪われた可能性 投稿者:加藤 浩司 投稿日:99/06/12(Sat) 23:49 |
こっちもレスが遅くなりました。 色々忙しかったもので(ウソばっかり)。 > 一例としまして、ここ5年ほど、その分野ではやっているゲームシステムで、「マルチエンディング」と呼ばれるタイプの、アドベンチャーゲームの一形態があります。 > これらは、プレイヤーの選択によって、話の流れ、また結末が変わっていくタイプのものです。ここでポイントなのは、ゲームを作る側が、あらかじめ色々な話の流れを決めておいて、プレイヤーがその筋を追って行くという造りになっているという部分です。 > これによって、ゲームの中で、(あくまでも「仕組まれた」部分の)物語性を高めることに成功しています。 これは宮崎駿の受け売りですが、あるインタビューで彼は物語作りについて語るのに「喪われた可能性」という言葉を使っていました。 つまり物語があるひとつの展開を見せた時、それ以外のあらゆる展開(=可能性)は喪われる。その喪われた部分が物語を奥深くしているし、受け手の思い入れも一層強くなるといった話です。 「喪われた可能性」という言葉で今思い出したのは「三国志演義」です。 劉備玄徳が中国統一を遂に果たすことのできなかった無念さに満ちたこの物語、「あそこで玄徳が退却していたら」「あそこで馬謖が指示通りに動いていたら」そんな「たら」「れば」満載の物語で、それこそが世界中で読み継がれる所以になっていると思います。 その「たら」「れば」を想定し、劉備が天下統一を成し遂げてしまう物語がいくつか出版されていることなどは、「三国志演義」全編に流れる無念さ(=喪われた可能性)の大きさを物語っているように思います。 (無論そうした「異説・三国志」の面白さが原作に及ばないのは言うまでもありません。) それを初めから複数の展開を用意してしまったのでは、その時点で物語は破綻していると考えることもできると思うのです。 ハッピーエンドにせよアンハッピーエンドにせよ、従来の物語のあり方に沿って考えるなら、結末はひとつであるということが完成度の高い物語の絶対条件なのではないかという気がします。 > 最後に、私が最初に、ゲームに「深い物語性」を見いだしましたのは、だいぶ前の「スナッチャー」という作品です。 > 今、やってみますとなんでもない(失礼)のですが、当時はゲームで初めて、「物語性」といった種の感動を得たのを覚えています。 > 作者は、コナミの小島氏です。 > 氏は大変な映画好きらしく、映画コラムを昔、ゲーム雑誌に(!)連載されていたのを覚えています。 > 「スナッチャー」にも、たしかに映画で使われる表現技法がたくさん盛り込まれていました。 > あれは、初めて実現したところに価値があると思います。 これは完全な雑談になりますが、ほぼ同時期にT&Eソフトが「サイオブレード」というアドベンチャーゲームを出しています。 これはゲーム界初の全シーンアニメーション処理というとんでもない試みがなされたもので、大変な話題作でした。 しかしアニメ処理によって膨大なメモリを消費せねばならないためにグラフィックそのものはシンプルなものにならざるを得ず、試みの壮大さとは裏腹に地味な印象のゲームになってしまっていました。 結局人気面では「スナッチャー」に大きく水を空けられてましたね。 「サイオブレード」もストーリー的にはなかなか面白いものになっていましたが、それはあくまで「ゲームにしては」という注釈を付けねばならない程度のもので、その後ゲーム界に大きな影響を及ぼすには至りませんでした。 「スナッチャー」は残念ながらプレイしていません。 > 「縦置きディスプレイ」ですか! > それは素晴らしいです!! いえ、横置きディスプレイを縦に置いてます(笑)。 10年以上前に買ったMSX用のディスプレイでして、画像はちょっと汚くなってますが、よく持ってくれてます。 縦に置くと一部変色してしまうのですが、まあいいや。 ええと、みなこさん、アルバイターに「ボーナス」は禁句です。 (-_-)――(゜o ゜)→ぐさ |
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307 | それにしましても孟達は・・・ 投稿者:いどっち 投稿日:99/06/14(Mon) 21:46 |
お邪魔いたします。 すみません。すっかり縦に長い掲示板になってしまいました(苦笑)。 > これは宮崎駿の受け売りですが、あるインタビューで彼は物語作りについて語るのに「喪われた可能性」という言葉を使っていました。 > つまり物語があるひとつの展開を見せた時、それ以外のあらゆる展開(=可能性)は喪われる。その喪われた部分が物語を奥深くしているし、受け手の思い入れも一層強くなるといった話です。 > > 「喪われた可能性」という言葉で今思い出したのは「三国志演義」です。 > 劉備玄徳が中国統一を遂に果たすことのできなかった無念さに満ちたこの物語、「あそこで玄徳が退却していたら」「あそこで馬謖が指示通りに動いていたら」そんな「たら」「れば」満載の物語で、それこそが世界中で読み継がれる所以になっていると思います。 > その「たら」「れば」を想定し、劉備が天下統一を成し遂げてしまう物語がいくつか出版されていることなどは、「三国志演義」全編に流れる無念さ(=喪われた可能性)の大きさを物語っているように思います。 > (無論そうした「異説・三国志」の面白さが原作に及ばないのは言うまでもありません。) > それを初めから複数の展開を用意してしまったのでは、その時点で物語は破綻していると考えることもできると思うのです。 > ハッピーエンドにせよアンハッピーエンドにせよ、従来の物語のあり方に沿って考えるなら、結末はひとつであるということが完成度の高い物語の絶対条件なのではないかという気がします。 なるほど。このお話、私は初めてお聞きしましたが、確かにおっしゃる通りだと思います。 ただ、これは私の説明が不足していた部分がありましたのですが、「マルチエンディング」システムに乗っ取ったストーリーであっても、本筋は一つである、と言える部分もあると思うのです。 このシステムのゲームにおきましては、プレイヤーは決して一つのエンディングを見ただけでは、ゲームを制覇したとは言えません。 これらの複数のエンディングは、相互に深く結びつきながら、一つのドラマを紡いでいると言える部分があります。 例えば、主人公が探偵で、ある事件を解決するストーリーだとします。 エンディング構成は、ハッピーエンディングが1つ、バッドエンド(アンハッピーエンディング)が5つあるとします。(実際はもっと複雑な場合が多いのですが。) プレイヤーがゲームをプレイしますと、1回目のプレイでは、絶対にハッピーエンディングにはたどり着けません。 それは、1度目のプレイでは、ハッピーエンディングに至る選択肢が選べないからです。 バッドエンドで、敵に殺されたとしますと、そのときにその敵についてのヒントが得られます。 そして、2回目のプレイでは、その箇所で選べる主人公の選択肢が増えています。 そこで、プレイヤーがバッドエンドのヒントを元に、新しい選択肢を選ぶことによって、新しい展開に進むことが出来ます。 これらが、5回続いて初めて、事件の全貌が自ずと見えてきて、真のエンディングに到達することが出来ます。 (うまく説明しにくいのですが、この「自ずと見えてくる」部分が、この手のゲームの醍醐味の一つだと思います。) これらは、マルチエンディングシステムが持つ特徴のほんの一例ですが、複数ある結末がそれぞれ独立している訳ではなく、それぞれが必然性を持って存在して、さらに相互に結びついて、一つのストーリーを形成しているという事なのです。 また、これらは、あくまでも作者によって「仕組まれた」展開ですので、(ゲーム特有の、偶然による展開ではないという意味です。)「喪われた可能性」も、他にも無限に存在し得る、と思うのです。 ですが、お出しになられた「三国志」の例は、私もまさにその通りだと思います。 確かに、「あのとき劉備が退却していたら」、いやそれ以前に、張飛がもっと部下思いだったら、さらに劉封、孟達が関羽に援軍を送っていたら、関羽が油断しなかったら・・・、など、きりがありませんが、確かに仰るとおりです。 (それにしましても、ATOKは三国志人名辞典も装備して欲しいものです(苦笑)。) (そう言いますと、孟達は、司馬懿を甘く見て千載一遇のチャンスを逃したこともありました。張松、法正が生きていれば・・・。) > これは完全な雑談になりますが、ほぼ同時期にT&Eソフトが「サイオブレード」というアドベンチャーゲームを出しています。 > これはゲーム界初の全シーンアニメーション処理というとんでもない試みがなされたもので、大変な話題作でした。 > しかしアニメ処理によって膨大なメモリを消費せねばならないためにグラフィックそのものはシンプルなものにならざるを得ず、試みの壮大さとは裏腹に地味な印象のゲームになってしまっていました。 > 結局人気面では「スナッチャー」に大きく水を空けられてましたね。 > 「サイオブレード」もストーリー的にはなかなか面白いものになっていましたが、それはあくまで「ゲームにしては」という注釈を付けねばならない程度のもので、その後ゲーム界に大きな影響を及ぼすには至りませんでした。 > 「スナッチャー」は残念ながらプレイしていません。 これも、私の言葉足らずの部分がありましたのですが、私がプレイしましたのはPCエンジン版です。 正直言いまして、PC版の「スナッチャー」は、2つの意味で「スナッチャー」では無かったと思います。 と言いますのは、まず、PC版では物語が完結しなかったという点。(3部構成の第2部までしか収録されていませんでした。その時点で結末を考えていなかった、という説も?) それから、当時のPCの機能が、(少なくとも「スナッチャー」をプレイするプラットフォームとして、)あまりにも未熟であった点。 が、挙げられると思います。 具体的には、PCエンジン版では、もちろん3部全てが収録され、物語が初めて完結しました。 それから、音声が入ったこと、また、(CD−DAではありませんでしたが、)音源の質が上がったこと、他には、演出面でも多彩な(ある意味、映画的な)試みが追加されました。 そういった意味で、「スナッチャー」はPCエンジン版以前のものでは、本当の「スナッチャー」ではない、と言えると思うのです。 (後に移植されました、PS版やSS版も、移植具合はいい加減なものであったと言わざるを得ませんでした。) 「サイオブレード」に付きましては、残念ながら存じていませんでした。 (私、どうもT&Eとは、接点が少ないのです・・・。) ところでですが、この手のソフトは、人にはなかなかお勧めしにくいものです。 といいますのは、前回に書かせていただきました通り、ストーリーが複雑になればなるほど、プレイヤーを選ぶ、という点があるからです。 ただ、マルチエンディングを採用したタイトルに限らず、最近の良質のアドベンチャーゲームでは、(少なくとも私に取りましては、)深い物語性を持ち、感動を与えてくれるものも存在するという面はあると思います。 > いえ、横置きディスプレイを縦に置いてます(笑)。 > 10年以上前に買ったMSX用のディスプレイでして、画像はちょっと汚くなってますが、よく持ってくれてます。 > 縦に置くと一部変色してしまうのですが、まあいいや。 そうでしたか。 横置き用のディスプレイは、縦置きするのはまずいと聞いておりましたから、私は今までそれに踏み切ることが出来ませんでした。 実際は問題ないのですね。 私は・・・、やはり少し戸惑ってしまいますが(苦笑)。 最後に、宮崎氏の作品と言いますと、残念ながら私は「魔女の宅急便」までしか観たことがないのですが、子供の頃に観ました「未来少年コナン」はえらく好きでした記憶があります。 先日、全話DVDボックスを店頭で見ましたが、4万円ぐらいしましたので、とても購入することは無理でした(苦笑)。 私も宮崎氏の最近の作品には興味があるのですが、ビデオはそこそこの値段なのですが、LDになるとかなり高いですので、もう少し安くして欲しいと切に願います。 宮崎氏の一連の手塚批判も聞いてはいます。 詳しくは存じておりませんのでコメントは出来ませんが・・・。 ちなみに、私が(おそらく)一番好きなアニメ作品は、「(1st)ガンダム」です。 それから、末筆になってしまいましたが、泉さん、みなこさん、常連の皆様、申し遅れてしまいましたが、はじめまして。 加藤さんの「ジャンボ鶴田のショルダースルー」でお世話になっております、いどっちと申します。 いつも長文投稿ばっかりで、本当に恐縮です。 今後とも、時々お邪魔させていただくつもりです。 どうぞよろしくお願い申し上げます。 ですが、今回は・・・(長すぎですね、不適当でしたら恐れ入りますが、どうぞ削除なさって下さい。)。 それでは、失礼いたしました。 |
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308 | 今日は暑さにやられた 投稿者:加藤 浩司 投稿日:99/06/15(Tue) 23:49 |
うりゃ。 > ただ、これは私の説明が不足していた部分がありましたのですが、「マルチエンディング」システムに乗っ取ったストーリーであっても、本筋は一つである、と言える部分もあると思うのです。 > > このシステムのゲームにおきましては、プレイヤーは決して一つのエンディングを見ただけでは、ゲームを制覇したとは言えません。 > これらの複数のエンディングは、相互に深く結びつきながら、一つのドラマを紡いでいると言える部分があります。 なるほど、話は一本でしたか。 そうなるとやはり問題となるのは、前に言った「ゲームという形態が物語作りにおいて足かせになっていないか」という点に絞られて来るようですね。 さすがに話が煮詰まってきたな(笑)。 > これも、私の言葉足らずの部分がありましたのですが、私がプレイしましたのはPCエンジン版です。 > 正直言いまして、PC版の「スナッチャー」は、2つの意味で「スナッチャー」では無かったと思います。 それは知りませんでした。 しかし息が長いですね、このゲーム。 > 横置き用のディスプレイは、縦置きするのはまずいと聞いておりましたから、私は今までそれに踏み切ることが出来ませんでした。 > 実際は問題ないのですね。 あります。間違いなく寿命は縮みます(笑)。 > ちなみに、私が(おそらく)一番好きなアニメ作品は、「(1st)ガンダム」です。 私も「ガンダム」は好きです。が……作品についてはノーコメントとさせていただきます。 > ですが、今回は・・・(長すぎですね、不適当でしたら恐れ入りますが、どうぞ削除なさって下さい。)。 ナニイ?削除される可能性があるとわかって投稿したとは、まさしく確信犯の荒らし。 ゆるせん!!(どうしても荒らしに仕立て上げたいらしい。) |
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309 | まるでどっかの往復書簡みたいだ 投稿者:泉泰弘 投稿日:99/06/16(Wed) 08:55 |
ハルオさん(由来は???)、こんにちは。 と、書こうと思ってたら完全復帰なさったようで。最近公式掲示板も平和になりましたね。 ダイエーホークスの掲示板でも、チームが勝っているものだから荒らしさん達がすっかり姿を見せなくなり、最近はツマランですわ。荒らしにお目にかかれるのはここだけか。 もちろん冗談です。 いどっちさん、はじめまして。 「自称良識派連中掲示板」も時々覗いております。(最初に変換した時にふと思ったのですが、掲示板管理者の場合は「時々除いております」だな。) 長文は読む方も書く方も全く苦になりません。今後ともよろしく。 |
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310 | 公式HPはまたまた大量削除ですか・・・ 投稿者:いどっち 投稿日:99/06/17(Thu) 02:21 |
お邪魔させていただきます。 > そうなるとやはり問題となるのは、前に言った「ゲームという形態が物語作りにおいて足かせになっていないか」という点に絞られて来るようですね。 > さすがに話が煮詰まってきたな(笑)。 そうですね(苦笑)。 私の考えですと、ゲームの持っている独自の特徴は、深い物語性の形成には、プラスに作用することこそあれ、それが足かせになることは少ないかと存じます。 (あくまでも)私に取りましての「物語性」とは、詳しく定義されるものではなく、ただ、感動したか否かの一点に尽きる部分があるかと思います。 (これは、「ゲームが爽快感を与える」という話とも微妙につながってきますので、話がいささか、ややこしくなるのですが・・・。) > しかし息が長いですね、このゲーム。 残念ながら、息が長いわけではありませんでした(苦笑)。 最近の復刻版は、もはやたたき売り状態です。 そもそも、復刻版が出されたのも、体力のあるコナミならではの事だと思いますし、現行機(PS、SS)用のタイトル向けに頭数をそろえただけ、という見方もできると思います。 > あります。間違いなく寿命は縮みます(笑)。 ありがとうございます。 了解いたしました(苦笑)。 ですが、縦置きディスプレイはぜひ欲しいですね・・・。 > 私も「ガンダム」は好きです。が……作品についてはノーコメントとさせていただきます。 う〜ん・・・。 改めて考えてみますと、これまで私は、アニメにあまり作品性を求めることはありませんでした。 本に関しましては少し違いますが、映画につきましても、今まで積極的に見てきましたものは、似たようなスタンスを取っていたように思えます。 私に取りましては、これらの作品に接する姿勢は、まだ固定されていないと実感しています。 今は、とりあえず、色々読んで、観て、聴いて、というスタンスをとり続けようかと思っています。 > ナニイ?削除される可能性があるとわかって投稿したとは、まさしく確信犯の荒らし。 > ゆるせん!!(どうしても荒らしに仕立て上げたいらしい。) 「荒らし」の汚名だけはご勘弁を・・・(苦笑)。 ですが大変失礼ですが、加藤さんは、公式HPが荒れていますときは、性格が多少お変わりになるような印象を受けました(苦笑)。 泉さん、はじめまして。 こちらこそ、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。 長文投稿への温かいお言葉、本当に恐縮です。 ですが、今後は多少自粛させていただくつもりです(苦笑)。 それでは、また伺わせていただきます。 失礼いたしました。 |
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311 | お〜雨が降ってきた 投稿者:加藤 浩司 投稿日:99/06/17(Thu) 23:46 |
どこかの往復書簡……え、どこどこ?なんて。 早く返事書かなきゃ。 「ハルオ」の由来はコサキンです。水野晴郎のハルオです。 プロレスの掲示板は荒れるとむかつくし、荒れないと物足りないし、なんてことは言いませんけど、我々への風当たりも強くなって来ましたばい。 泉さんも参加しませんか? > (あくまでも)私に取りましての「物語性」とは、詳しく定義されるものではなく、ただ、感動したか否かの一点に尽きる部分があるかと思います。 ナルホド、私は手塚治虫のこの言葉に非常に大きくうなずいた口でして、いどっちさんとは対照的ですね。 「感動というのは、その人の考えや行動に変化が現れて初めて本物と言え るのであって、何ら変化をもたらさない『間違った感動』というものも 人間にはあるんです。」(うろ覚え) 考えてみると、自分の好きな映画や小説について語る時は「感動した作品」とは言わす「影響を受けた作品」と言うことが多いような気がします。 しかしその一方で、純粋に面白さだけを追求した物語にも優れたものが数多くあるのも事実で、そうした作品から受けた感動というのがニセモノとも思えません。 「作品の価値」というのは考えれば考えるほどややこしいですね。 「価値ある物語」の一要素として、人間描写がどこまでしっかりしているかということが挙げられるように思います。 (メッセージ性のあるなしに関わらず。) ルブランのルパンシリーズなどはその一例ではないかと思っています。 > > しかし息が長いですね、このゲーム。 > 残念ながら、息が長いわけではありませんでした(苦笑)。 まあ。 > 「荒らし」の汚名だけはご勘弁を・・・(苦笑)。 私は全部で6枚の掲示板を管理しているんですが、荒らしがどこにも現れないのでとても寂しい思いをしているのです。 荒らされるのってホームページのひとつのステイタスじゃないかと思うんですよ(何言ってんだ)。 「誹謗中傷はおやめ下さい」とか全く書いてないのにな。 あ、でも私がいどっちさんを誹謗してるか。 > ですが大変失礼ですが、加藤さんは、公式HPが荒れていますときは、性格が多少お変わりになるような印象を受けました(苦笑)。 そうかしら(笑)。 あちらが荒れたからというより、むしろネット歴がまる1年なって本性を表し始めているだけという噂も。 このサイト、ただでさえアクセス数が少ないのにまずいなあ。 > 長文投稿への温かいお言葉、本当に恐縮です。 > ですが、今後は多少自粛させていただくつもりです(苦笑)。 まあそうおっしゃらずに。 |
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312 | おかげで畑仕事は延び延び 投稿者:泉泰弘 投稿日:99/06/18(Fri) 08:59 |
>どこかの往復書簡……え、どこどこ?なんて。 >早く返事書かなきゃ。 いえいえ、本当にお時間ができた時で結構です。 No.25「公式HPはまたまた大量削除ですか・・・」を見て、慌てて公式に行ったのですが、既に削除が終わっており見逃してしまいました。おそらく「朝帰り」氏を「ハルオ」氏(某掲示板管理者)と断定したあの人が多分支離滅裂な中傷誹謗を書いたのだろうと想像していますが・・・・結局恥をさらしただけの結果に終わったようですが、あの人の書き込みはいつも何か滑稽さを感じさせてくれますね(R氏とはまた違った意味で)。まさに清涼剤。 一方、滑稽さのひとかけらもない、まさに荒らし中の荒らしとでも呼ぶべき人達は全く来なくなってしまいましたね。思いの外打たれ弱かったということでしょうか。僕は悪役に仮面ライダーのショッカーのごとく、やられてもやられても再生してくる雑草的強さというものを期待してしまうものですから、ちょっと期待はずれです。(もしかしたら「今に見ておれ〜」とリベンジのチャンスを窺っているのかもしれませんが・・・・)そういう自分は本当に懲りない人間。 >泉さんも参加しませんか? プロレスの知識がもう少しあればと思うのですが、今のレベルでは見ているだけに留めておいた方がよいと判断しています。野球ネタなら少しは論戦が張れるのでしょうが・・・・そういえば、「良識派」掲示板では野球ネタも最近かなり登場しますね。常連さんの多くが支持するTとDが好調なものだから・・・・ |
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313 | おかげで畑仕事は延び延び 投稿者:泉泰弘 投稿日:99/06/18(Fri) 09:17 |
>
一方、滑稽さのひとかけらもない、まさに荒らし中の荒らしとでも呼ぶべき人達は全く > 来なくなってしまいましたね。思いの外打たれ弱かったということでしょうか。僕は悪役に > 仮面ライダーのショッカーのごとく、やられてもやられても再生してくる雑草的強さという > ものを期待してしまうものですから、ちょっと期待はずれです。 事故レスです。どうもこの前からレスがワンテンポ遅れている感じですね。K氏が復活したか。やっぱりショッカーだったな。 |
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314 | さてさて 投稿者:みなこ 投稿日:99/06/19(Sat) 01:32 |
加藤くんへ。 いよいよ決戦の日が近づいてきましたね〜。 ガンバッってくださいまし。 「オメデトウ会」が出来ればいいですね。 いどっちさんへ。 こんにちは。 遅くなりましたが、どうぞよろしくお願いします。 わたしも長文読むのは好きなんですヨ。 (長文を)書くのは、時間があれば、ですね。 いつも寝る前にパソコンを開くので、眠くなってしまうんです。 |
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315 | 試験よりネット 投稿者:加藤 浩司 投稿日:99/06/19(Sat) 23:08 |
あ、みなこさん。 勉強してる時間よりパソコンいじってる時間の方が遥かにだけにあまり結果には期待しない方がいいです。 オメデトウ会だなんてとんでもない。 ホームページを盛り上げるために私は断固合格しない! 常連荒らし君達が登場するのは何ヶ月かに1度で、今は充電期間ですね。 また猛威を奮うかどうか私も興味津々です。 はあ、事故レス(笑)。 でもあの投稿も行間から怨念がにじみ出ていて、さっぱり冴えませんね。 これですけど。折角なのでレスしました。 http://www.gala-net.co.jp/cgi/all-japan-pro-wrestling/board/tmmboard.cgi?Line=2&Command=DispOne&Board=ajp.talkingroom&DispNo=14855 |
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316 | 作品性の有無 投稿者:いどっち 投稿日:99/06/19(Sat) 23:11 |
こんばんは。お邪魔いたします。 > 早く返事書かなきゃ。 少しだけ気になりまして、一言だけ書かせていただきます。 私の投稿へのコメントですが、もちろん急いで下さらなくても全く結構ですので・・・。 お時間がありまして、お気が向かれたときにでも、どうぞお書きになって下さいましたら幸いです。 余計な事かもしれませんが・・・、失礼ながら、それだけは記させて下さい。 さて、コメントさせていただきます。 > ナルホド、私は手塚治虫のこの言葉に非常に大きくうなずいた口でして、 > いどっちさんとは対照的ですね。 > > 「感動というのは、その人の考えや行動に変化が現れて初めて本物と言え > るのであって、何ら変化をもたらさない『間違った感動』というものも > 人間にはあるんです。」(うろ覚え) > > 考えてみると、自分の好きな映画や小説について語る時は「感動した作 > 品」とは言わす「影響を受けた作品」と言うことが多いような気がします。 > しかしその一方で、純粋に面白さだけを追求した物語にも優れたものが > 数多くあるのも事実で、そうした作品から受けた感動というのがニセモノ > とも思えません。 ご指摘の手塚氏のコメントと、今の話題(作品性の有無の問題)は、手塚氏の一連の作品に大きく表れていると感じます。 私の場合、「ちょっと時間があるから漫画でも読むか」、と軽く漫画を読もうと思ったときには、おそらく手塚氏の作品を、そのとき読む漫画として選ぶことはないでしょう。 手塚氏の漫画を読みますときは、それなりの覚悟(?)を決めて作品を読むことになると思います。 (さらに、読了後に精神的にかなりの影響を受けることも考慮に入れて、です。) もちろん、そういった性格の漫画も好きではありますが、少なくとも、それ以外の(軽い気持ちで手に取れるような、)漫画に比べて、はっきりと価値が高いとも、(少なくとも、私に取りましては、)思えません。 もちろん、どちらの性格の作品で得ました感動も、(その種類の違いは明かではあれ、)同等に評価しても良いかと思います。 (もっともこれらは、「今の時点」での私の考えとして、です。) つまり、「間違った感動」の存在は認めたくない、というのが正直な私の感想です。 > 「作品の価値」というのは考えれば考えるほどややこしいですね。 > 「価値ある物語」の一要素として、人間描写がどこまでしっかりしている > かということが挙げられるように思います。 > (メッセージ性のあるなしに関わらず。) > ルブランのルパンシリーズなどはその一例ではないかと思っています。 ご指摘の、「メッセージ性の有無」こそが、巷で言われています、作品性の有無の最大のポイントになっていると感じます。 私も、この問題にはずいぶん考えさせられて来ましたが、今の時点では結論は出てはいません。(結論が見えてこない理由は、おそらく私の経験が不足しているのだと推測していますが・・・。) ご指摘の人間描写ですが、これは私は、作品性の有無に関わらず、作品を形成する上での必要最小限な事項だと思っております。 人間描写が満足でない作品は、作品とは呼べないのでは、と思うのです。 ところで、これを書かせていただきますと、私の作品に対する捉え方の甘さを、さらに露呈してしまうことになるかもしれませんが・・・、 私が作品を評価します上で、おそらく第一のポイントは、「後味の良さ」だと思うのです。 私が、(見ました範囲内の)宮崎作品が気に入っている最大の理由も、間違いなくそこにあります。 例えば、「トトロ」を初めて見ましたときの事は、今でも覚えているのですが、病気で入院しているお母さんが出てきまして、そのとき、あの母親はもしかすると、最後に亡くなってしまうのかな、と思ったものでした。 ところが、もちろんご存じの通り、そんなことはありませんでした。 たわいもない点だとお思いになられるかもしれませんが、私にはその部分が感動として大きかったのです。 「後味の良い」作品は、自分の言葉で説明しますのはなかなか難しいのですが、「ハッピーエンド」とはまた少し違います。 なんとなく思うのですが、一般的に、「後味の悪い」作品の方が、「作品」としての評価は高いように思えます。 ですが、私に取りましては、「後味の悪さ」は、その作品の評価を下げる最大の原因となってしまいます。 私の経験上、この考えに同調者は少ないのですが、私の作品に対する接し方としましては、そんなところです。 (ですので、(あまり見てはいないのですが)「1st」以外の富野作品は、私的には評価できませんし、一時期話題になりました「EVA」も、はっきり申しまして、私には全く評価できません・・・。) > 私は全部で6枚の掲示板を管理しているんですが、荒らしがどこにも現 > れないのでとても寂しい思いをしているのです。 > 荒らされるのってホームページのひとつのステイタスじゃないかと思う > んですよ(何言ってんだ)。 なんて事をおっしゃいますか(苦笑)。 私は、今後ウェブサイトを開設する上で、それが最大の気がかりです。 意味のないことで時間と手間を浪費することは、ものすごく大きな損害だと思っています。 ところでですが、私もHPの公開に向けて、少しずつ準備を進めております。 何分不慣れな部分が多いのですが、開設に関しまして、今後色々とご指導いただけましたら幸いです。 > > ですが、今後は多少自粛させていただくつもりです(苦笑)。 > > まあそうおっしゃらずに。 恐縮です(苦笑)。 ま、成り行き次第といいますことでご勘弁下さい。 >泉さん 私は、正直申しまして、彼らには公式HPにはもう来ていただきたくない、と思っています。 掲示板の雰囲気が悪くなりますのは、もうたくさんなのです。 私が管理者でしたら、彼らは出入り禁止にするところなのですが・・・(苦笑)。 (「公式」ですから、そうはできないのだと思いますが・・・。) ですが、このまま続けましても、「〜撃退の顛末」の項が増えるだけですと・・・。 それから、大変失礼ですが、[28]にポム発見です(笑)。 >みなこさん こちらこそ、どうぞよろしくお願い申し上げます。 > わたしも長文読むのは好きなんですヨ。 恐縮です(苦笑)。 私も、そうしようと思いまして、長文にしている訳ではないのですが・・・。 ですが、またしても長文になってしまいました・・・(苦笑)。 長文どうかご容赦下さい。 では、失礼いたします。 |
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317 | 間違った感動 投稿者:加藤 浩司 投稿日:99/06/20(Sun) 23:11 |
お〜煮詰まったと思ったら別の話題に飛び火したか。 > つまり、「間違った感動」の存在は認めたくない、というのが正直な私の感想です。 手塚治虫の言う「間違った感動」について補足します。 一口に「感動」と言っても、読み手の人生観まで変えてしまうようなものから、強烈な風刺に笑い転げるものまで様々です。 「笑い」も一種の感動であり、また上質の笑いは人格形成にもおおいに影響します。 更に、前に挙げたルパンシリーズなども、作品中の比類のない人物像に触れることが読み手の人間観をより深める効用を間違いなく持っていると思います。 つまり手塚治虫の言う「本物の感動」というのは、なにも読んだ後に深く考え込んだり厳粛な気持ちになったりするものだけを指しているのではなく、読み手の人格と人生をより豊かにするもの全てを指しているのだと思います。 手塚漫画はなにも長大なストーリー漫画だけではありません。 ギャグものも数多くあります。 ギャグものの中にも風刺、ナンセンスから子供向けのほのぼのしたものまでと、実に多彩です。 手塚治虫の考える「感動」が、心にずしりと響くものだけを指しているとしたら、そうした漫画は書かなかったはずです。 手塚治虫の言う「間違った感動」というのは、雰囲気でなんとなく涙を流したりするといった体のものです。 例えば登場人物が死ねば、これは悲しい。 しかしそこで大事なのは必然性のある死であったかどうかです。 (倉本聡の「北の国から」などは優れたドラマだと思っていますが、人を事故死させて感動させるというパターンの多さには、正直白けてしまうことがあります。) また、ヒーローとヒロインが結ばれれば、これは嬉しい。 しかしそこに至るまでの過程に、真に人の心を打つような葛藤があったかどうか。 実は「間違った感動」を嫌う手塚治虫自身、結構その手の間違いをやらかしてます。 このサイトでも引用してますが、宮崎駿がこんな風に語っています。 ――――― 「西遊記」の製作に手塚さんが参加していたときに、挿入するエピソードとして、孫悟空の恋人の猿が悟空が帰ってみると死んでいた、という話を主張したという。けれどなぜその猿が死ななくてはならないかという理由は、ないんです。ひと言「そのほうが感動するからだ」と手塚さんが言ったことを伝聞で聞いたときに、もうこれで手塚治虫にはお別れができると、はっきり思いました。 ぼくの手塚治虫論は、そこまでで終わりです。 ――――― また神宮輝夫という人は、ある作家との対談でこんなことを言ってます。 「センチメンタリズムというのは、ある事実とかできごとを、その姿をしっかり捉えずに、相手の感情を揺るがすように伝えることだと思うんです。」 こうして両者のコメントを引き比べてみると「間違った感動」と「センチメンタリズム」はイコールで結べるように思います。 一時期もてはやされた「トレンディードラマ」などはセンチメンタリズムの最たるものであったと想像しています。 男女がくっ付いたり離れたりするだけのだらだらした物語から得られる感動など知れたもの。 観た人がいくら「感動した」と言ったところで、その感動は所詮錯覚に過ぎません。 そう言えば高畑勲は「笑い」についてこんなことを言っています。 「皮膚ケイレン的な笑いしか知らない現代の子供達を腹の底から笑わせ……」 これ、こんな風に言葉を置きかえられると思います。 「センチメンタルな涙しか知らない現代人を心の底から泣かせ……」 更に 「センチメンタルな感動しか知らない人を心の底から感動させ……」 どとめ 「間違った感動しか知らない人に本当の感動を与え……」 更に付け加えるなら、仮に真の感動を与えてくれる物語であっても、受け手が「感動した、泣いた」といった、その時限りの自分の感情の高揚を覚えただけという受け取り方をした場合、それもまた「間違った感動」になってしまうとも思います。 > 私が作品を評価します上で、おそらく第一のポイントは、「後味の良さ」だと思うのです。 「後味の良さ」というのは微妙な表現ですが、なんとなくわかるような気がします。 例えば漫画「風の谷のナウシカ」などは、初めからハッピーエンドなどありえない物語です。 ここでまた「ナウシカ」の作品論を始めたらきりがないのでやめますが、この物語のラストがもし「世界は浄化され、人々はいつまでも幸せに暮らしました」なんてものだったら、読者は「アホか!」と一喝するでしょう。 あの物語はああしたラストだからこそ素晴らしい余韻が残ったわけですから。 一方、漫画ではなく映画「風の谷のナウシカ」のラストは「センチメンタリズム」に近いものがあったと私は考えており、宮崎駿自身が「60点」と評する理由もそこにあるようです。 ハッピーエンドではあったけれど、私はむしろ引っ掛かりを感じてしまいました。 そう考えるとハッピーエンドの作品=後味の良い作品とはなりませんね。 「後味の悪い作品ほど評価が高い」というのは、恐らくそれらの作品が、それだけ難しい問題に取り組んで作られたものだからではないでしょうか。 いわゆるアンハッピーエンドであっても、例えば現代社会の問題を鋭くえぐり、それに立ち向かう人間がしっかり描かれていれば、それは後味の悪いものにはならないと思います。 > ところでですが、私もHPの公開に向けて、少しずつ準備を進めております。 > 何分不慣れな部分が多いのですが、開設に関しまして、今後色々とご指導いただけましたら幸いです。 ホームページを作るコツは、周りの人はあまり賛同してくれませんが、「とりあえず開設してしまうこと」ではないかと思っています。 一番もたつくのは開設するまでで、一旦開設してしまえば、その後の更新は気軽にできるものです。 ちなみにアクセス数を増やすコツは私にもわかりません。 こんなに少ないサイトも珍しいのではなかろうかと。 |
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318 | 掲示板のURLを変更しました 投稿者:Akira 投稿日:99/06/21(Mon) 21:59 |
AWA掲示板タウンのAkiraです。 大変遅くなりましたが、リンクのURLを変えておきました。 http://www.nmt.ne.jp/~awakoubo/town/ |
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319 | 散髪 投稿者:加藤 浩司 投稿日:99/06/22(Tue) 00:10 |
な〜んか髪切ってからそんなにたってないのにもうボサボサだ。 床屋のお姉ちゃんがせこい切り方したのにちがいない。 面倒だけどまた切るか。 |
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320 | 私が考えます「感動」とは・・・ 投稿者:いどっち 投稿日:99/06/22(Tue) 23:02 |
こんばんは。 お邪魔させていただきます。 > 手塚治虫の言う「間違った感動」について補足します。 > つまり手塚治虫の言う「本物の感動」というのは、なにも読んだ後に深く考え込んだり厳粛な気持ちになったりするものだけを指しているのではなく、読み手の人格と人生をより豊かにするもの全てを指しているのだと思います。 なるほど、確かにその手塚氏の主張は理解できますし、私もその通りだと思います。 ただ、その「本物の感動」と対比されています「間違った感動」に関しましては、私は少しピンと来ません部分があるのです。 と言いますのは、私にはやはり、「感動」とは、その全てが受け取る側に依存するものであるのでは、と思えるからです。 > 手塚治虫の言う「間違った感動」というのは、雰囲気でなんとなく涙を流したりするといった体のものです。 > 例えば登場人物が死ねば、これは悲しい。 > しかしそこで大事なのは必然性のある死であったかどうかです。 > (倉本聡の「北の国から」などは優れたドラマだと思っていますが、人を事故死させて感動させるというパターンの多さには、正直白けてしまうことがあります。) 例えば、ここで白けてしまった方に取りましては、この作品で「感動」を得た、とはとても言えないと思います。 ですが、もし、ここで心に響くものを覚えられた方がおられるのでしたら、はっきりとここで、「感動」した、と言えるでしょうし、その感動は、その人の後々の人格形成その他に、何らかの影響を与えることになるかもしれません。 その場合、ここでの「感動」を「間違った感動」と呼ぶことは、もちろん出来ないかと思います。 さらに、もし、その「感動」がその場限りのものであって、なんらその人の心の深い部分に影響を与えなかったとしましても、「その程度の」感動として、やはりそれは「間違った感動」とは言えないと思うのです。 繰り返しますが「感動」とは、やはり、受け手自身にその度合いや評価の全てを依存するものであり、その本人以外の誰によっても、判断、評価されるものではないと考えます。 私は「感動」とは、作品がその全てを与えてくれるものではなく、受け手の心の中に存在する意識が呼び覚まされ、引き起こされることによって実現するものだと思います。 つまり、作品はそのきっかけに過ぎないと感じるのです。 例えば、ご指摘のトレンディードラマでありましても、受け取る方によりましては、そのストーリーに自分の過去の経験が呼び起こされ、「感動」を覚える場合もあると思うのです。 また、必然性のない表面的だと言える種のストーリー展開でありましても、(たとえその場の雰囲気に酔わされたものでありましても、)その部分で、その人その人が感じた印象、感動は否定すべきものではなく、まして他者によって評価されるものではないのでは、と思うのです。 ですので、この「間違った感動」という言葉、及び考え方は、「客観的な」作品評価の次元に存在する概念であると考えます。 「感動」とは、あくまでも「主観的な」判断、いやそれ以前の、受け手にとって、より心の深い場所での印象であり、客観的な作品評価とは全く違う場所にあると考えます。 つまり、この「間違った感動」という言葉は、完全に主観的な側面を持つ「感動」を客観的な視点で評価している以上、私に取りましては、全く矛盾しているように思えるのです。 また、この「間違った感動」という表現は、作品の作り手ならではの言葉であるとも思います。 作品の作り手は一般に、感動について語ることは難しいでしょう。 その感動は、あくまでもその作り手本人のみに関してのものであり、さらに、明らかに、単なる受け手のそれとは性格が異なるからです。 そのことを理解しているからこそ、その場合、客観的な作品評価という観点からしか「感動」を説明することができなくなるのだと思います。 以上ですが、なんとも勝手な意見に思われるかもしれませんが、私が「間違った感動」という言葉に対しまして、今ひとつピンと来ませんでした理由は、こんなところだと思います。 乱文で、大変失礼いたしました。 > 「後味の良さ」というのは微妙な表現ですが、なんとなくわかるような気がします。 > 例えば漫画「風の谷のナウシカ」などは、初めからハッピーエンドなどありえない物語です。 > 一方、漫画ではなく映画「風の谷のナウシカ」のラストは「センチメンタリズム」に近いものがあったと私は考えており、宮崎駿自身が「60点」と評する理由もそこにあるようです。 > ハッピーエンドではあったけれど、私はむしろ引っ掛かりを感じてしまいました。 なんと!・・・そうでしたか!! 私は、漫画版のストーリーを存じてはいませんでしたが、その事は非常に意外でした。 私は今回、いかに自分の作品に対する捉え方が、「作品評価」と呼べる次元ではないということに、改めて気が付かされました。 すでにお分かりだと思いますが、私の諸作品に対します接し方はきわめて主観的であり、それはある意味次元が低いと言えるようです。 つまり、作品に対して客観的に評価する姿勢に欠けていたということです。 繰り返しになりますが、いわゆる「作品評価」とは、客観的な判断による面が強いと思われます。 その意味で、これまで私の書かせていただきました意見は、あくまで「感想」ではありました。 > そう考えるとハッピーエンドの作品=後味の良い作品とはなりませんね。 > 「後味の悪い作品ほど評価が高い」というのは、恐らくそれらの作品が、それだけ難しい問題に取り組んで作られたものだからではないでしょうか。 私も同感です。 ・・・ですが、最近、いわゆる「奇をてらおうとする」ことで、「後味の悪い」展開を意図的に採用する風潮があるように感じています。 私がもっとも好きではないタイプの作品は、「救いのない物語」です。 これは、「後味の悪い」作品とは、また少し違うとは思いますが、より一歩主観的な次元に踏み込んだ価値判断だと言えると思います。 「救いのない物語」の全てが「後味の悪い」作品ではないかもしれませんが、この手の作品の場合、ご指摘の、必然性の感じられない不自然な物語の展開が多いようにも思えます。 さて、先ほど、ハッピーエンドではない漫画版「ナウシカ」の方が、映画版に比べて、宮崎氏の理想に近かったといいますお話ですが、これは正直言いまして、私には以外でした。 宮崎氏は過去の氏の発言から、てっきり「救いのない」物語を評価していないように思っていたからです。 > > 何分不慣れな部分が多いのですが、開設に関しまして、今後色々とご指導いただけましたら幸いです。 > ホームページを作るコツは、周りの人はあまり賛同してくれませんが、「とりあえず開設してしまうこと」ではないかと思っています。 > 一番もたつくのは開設するまでで、一旦開設してしまえば、その後の更新は気軽にできるものです。 > ちなみにアクセス数を増やすコツは私にもわかりません。 > こんなに少ないサイトも珍しいのではなかろうかと。 アドバイスありがとうございます。 私は、7月上旬の開設を目指しているのですが、その時点で不十分な出来でありましても、とりあえず公開ははじめるつもりです。 アクセス数ですが、私はむしろ、(荒らし氏が来られるような)人気サイトにはしたくないと思っておりました(苦笑)。 たとえ自己満足でありましても、それなりの規模のサイトで、それなりの来訪者がありましたらそれで満足です。 加藤さんのHPは、私の理想とします個人HP像の一つでもあります。 それでは、今後とも色々とお教えいただけましたら幸いです。 いつもの事ながら、長文で大変失礼いたします。 失礼いたしました。 |