(2000.6.27〜2000.7.7)

1096 リンクをはらせていただきたいのですが・・・。
投稿者:こぴん 投稿日:2000/06/27(Tue) 13:16
   自分のページにリンクをはらせていただきたいと思い、投稿しました。
 よろしいでしょうか。。。私の方のページはつたないページで、お恥ずかしい限りなのですが、よろしくお願いいたします。

http://www.isn.ne.jp/~sae/
1097 ことなかれ主義 投稿者:加藤 浩司 投稿日:2000/06/28(Wed) 00:00
   だいぶ前になるが古本屋で竹宮恵子か"どおくまん"か迷った末、竹宮恵子の「風と木の詩」を購入。14巻までで1,600円くらい。全巻だと思ったらそうじゃなかった。
 いわゆる少年愛ものの走り、なのかな。昭和51年からの連載だそうだが描いたのは更に7年遡るそうな。
 話はまあ面白い。が、これぞ少女漫画と言わんばかりのジメッとした筆致と過剰な感情表現にはどうしても馴染めぬ。ほぼ同時期に描かれた「地球へ…」は特に抵抗なく、しかも面白く読めたんだが。
 しかし当時の中学生に大人気だったというけれど、中学生にわかるのか、これ。ファンレターは「誰それが好き」とかいう類のものばかりだったようだし、真価が認識されたのはずっと後なんじゃないか。そういう自分にも真価はわからねども。

 比較的最近読み出した少女漫画家で一番相性のいいのは山岸涼子みたいだ。次いで吉田秋生か。1冊しか読んでないが西原理恵子も素晴らしい。

 相馬さんが宇宙そのものだったら相当居心地悪そう。
 しかし、色んな掲示板で揉め事の渦中にいたけれど、どういうわけか児童文学の掲示板の人達が一番ことなかれ主義なんだよなあ。一体児童文学から何を学んだのかと言いたくなる。とアチラの掲示板にも書いておいた。
 ちなみに問題の掲示板はここ。
http://www.tcup3.com/339/hico.html

 こぴんさん、こんにちは。リンク設置、ぜひお願いします。ホームページ少し拝見しました。灰谷健次郎の読者ですか。嬉しいですね。
1098 児童文学ファンか 投稿者:相馬契太 投稿日:2000/06/28(Wed) 12:17
   児童文学が好きだからって、頭の程度まで子ども並になるこたあるまい。
 しかもその掲示板で、下にいるどらねこロックさんに、
「見直してから投稿ボタンを押せ。言葉は凶器にもなる」なんて説教食らってる加藤さん。
 まあ、お前は相当考えたろうと。
 こんなくだらん嫌がらせをするにはさ。
 あくまで同一人物と仮定しての話ですが。

 しかしまあ、発端の童話作家さんも、作品は読んだことないが、説教好きの、ウチワ受け好きの童話作家なんて推して知るべしだな。まあ、326よりはいいでしょう。
http://www.simple1-j.com/k-bbs/kbbs.cgi?bn
1099 竹宮惠子 投稿者:オールドファン 投稿日:2000/06/28(Wed) 12:26
   この掲示板は宇宙から電波が届くのですか?書き込みの数は少ないけれど、どれもユニークなものばかりで。

 「風と木の詩」を読まれましたか。少年愛ものの走りでしょう間違いなく。これが出てからコミケの流れが変わってしまったんですから。連載当初はいろいろと物議を醸した作品です。
 「風と木の詩」は初出誌が週刊少女コミック(小学館)ですが、「地球へ」
は初出誌がマンガ少年(朝日ソノラマ)です。少女マンガと彼女の初の少年マンガですから読みやすさが違うのは無理のないことだと思います。
 この「風と木の詩」は少女コミックの編集部から何度もダメと言われている作品なんですね。無理もない、初っぱなからSEXシーンですからね。しかも男同士の。当時の言葉なら「変態」ですからね。(「さぶ」は創刊されていただろうか?)
 ダメを言われ続けて最終的に描けたのは1つには彼女の執念でしょうね。この作品は週刊少女コミックで連載される前に1−2度別冊少女コミックに1部を抜粋して掲載されたことあります。また、彼女は当時の作品の空いたコマに「風と木の詩」をよく宣伝していました。「これが自分のライフワークだ」と。
 ですから、竹宮ファンにとっては幻の作品で、編集部にはこの作品の掲載希望の手紙が山と積まれていたそうです。
 それだけでは連載できるわけがなくて、この「風と木の詩」の前に「ファラオの墓」というを作品を週刊少女コミックで連載して、それが面白かったんですね。(「地球へ」よりも面白いですよ)
 絵柄はともかく、観念的でマニア受けの強い作家から「ファラオの墓」でもっと広く読者に支持される作家に変貌したことがこの作品が掲載できた最大の理由でしょうね。
 当時、竹宮恵子ですが今は竹宮惠子ですね。何時頃改名したのか知ってます?知っていたら教えて下さい。

閑話休題
 最近、本家(と私が呼ぶ)のHPとか某・カフェにオールドファンを名乗る人物の書き込みがありますが、あれは私ではありません。偽者というより以前に同じHNの人物がいたことを知らないのでしょう。2代目ですかね。ただ、その文章からは40前後と推定できるのですが「オールド」を名乗るのは随分と大胆な人だなとは思います。
1100 宣伝した 投稿者:加藤 浩司 投稿日:2000/06/29(Thu) 00:38
   なんか失礼なメールが来たけどどうしよう。
 挨拶なしはちょっとなあ。

 ここのどらねこロックさんは、第三者のイタズラじゃないかな。

 え、「ファラオの墓」ってそんなに面白いんですか。読んでみよ。
「風と木の詩」は、「ある時全てのシーンがはっきり頭に浮かんだ」とあとがきに書いてありますね。妥協しなかったのも納得。
 改名にについては初耳でした。

 何ヶ月か前から別人のオールドファンさんが出没してますね。新日ファンかな?文面はこちらのオールドファンさんと全く違うので見分けるのは簡単です。

 ということで、「掲示板のあり方」をアチラの掲示板で宣伝しときました。議論の続きはここで……となるかな。いや、あっちでやるべきか。どっちでもいいけど。
1101 そうか 投稿者:相馬契太 投稿日:2000/06/29(Thu) 09:20
   いたずらか。そうかもしれない。
 もしそうなら、本物のどらねこロックさんには失礼なことをしました。
 見てるかどうか知らないが、すみませんでした。

 しかし「議論好き」に「正義」だそうで。
 突然参加したりして。いや、うそ。
http://www.simple1-j.com/k-bbs/kbbs.cgi?bn=010446
1102 児童文学の掲示板を見てきました
投稿者:オールドファン 投稿日:2000/06/29(Thu) 12:10
   問題の掲示板を見てきました。まずは加藤さんのエネルギーに脱帽です。
 多分加藤さんは承知して書き込んでいるのでしょうけれど、コメントします。
 自分が高い立場に立って偉そうに書き込みをするのはプロレスサイトでよく見かけることですが、あれは当人の人格未成熟のなせる技だけれど、この児童文学作家氏は人格が成熟してますね。早い話が確信犯でしょう。ですから自分が偉いとから偉そうに書き込みをするのは当然なこと。さらにあの掲示板での自分の商品価値まで承知している。
 こうなってしまうと処置なしでしょうね。
 他の参加者達も現役の作家が掲示板に参加していることに価値を見いだしているようですから、氏の機嫌を損ねたくはないのでしょう。問題の書き込みが無名の一般人だったら反応が違ったのではないでしょうか。
 事なかれ主義というよりは小さなカルト集団に近いように思えます。
1103 はははのは 投稿者:相馬契太 投稿日:2000/06/29(Thu) 15:23
   加藤さん、ぼろくそですよ。
 どうなるものやら。
 反論は100個くらい思いつくけど、理解できるかどうかだな。

 1個だけ。
「ローカルルール」というなら、多分、向こうの掲示板がローカルだ。
 なぜなら、「平和に今のルールを守ってやっていっている人々」を保護して、波風が立たないよう、調和できないものを排除するのが「イナカ」というところだから。
「こっちはみんなで楽しいから問題ないよ」という人たちと、「共同で使う場所のルールは、そこにいる人がぶつかりながら決めること」という加藤さんと、どっちが「排他的」かは推して知るべし。

 味方が多いとなったら口調も変わったからな。
「一般的な掲示板のルール」を守って、向こうに書き込むことはしないけど、どんなもんでしょ。作品と人格は関係ないけどね。

 まだまだあるけど、また今度。
http://www.simple1-j.com/k-bbs/kbbs.cgi?bn=010446
1104 正義の味方参上 投稿者:加藤 浩司 投稿日:2000/06/30(Fri) 03:04
   ちょっと物騒なタイトルを付けてみました>アチラの掲示板

 うーん、あの掲示板を見てる人の中に、あの方の読者がどれだけいるかは疑問だし、ご機嫌取りの意図はあるかなあ。ちなみにあのサイトを運営しているのはひこ・田中という作家さんです。
 単に「議論=醜い争い」といった捉え方しかできない人が多いだけなんじゃないかという気がします。
 アチラの掲示板にも書いたけど、「押し付け、押し付け」って、一部の人を除いて話に具体性がまるでないんだ。

 相馬さん、口出ししたくてしょうがないっしょ。
 でもダメ。私の楽しみを奪うな。って別に楽しくはないが。

 場合によっては発端の投稿になぜ不快を覚えたかをアチラに書こうかと思う。その方が話がややこしくならないような気がする。まあそれは成り行きを見て。

 それにしても、ひこさんの掲示板があんなに栄えたのは開設以来じゃなかろうか。きっと喜んでいるに違いない。

↓問題の掲示板はここ。
http://www.tcup3.com/339/hico.html
1105 サイトがなくなる日まで書き込みます。
投稿者:泉泰弘 投稿日:2000/06/30(Fri) 09:01
   僕も見てきました、例のサイト。

>特に、「どういった意図であんな事を書いたんですか」風の
>感情的な応酬は不毛ではないかな、と。
(相手の意図を問いただすことが感情的応酬とは恐れ入る!)

>初めての人や一週間に一度見に来る人にまでその話題で盛り上がれ
ってなことを言っても仕方ないですし。
>(誰もそんなこと言ってない。)

 こんなふうにコメント付きで「顛末」に掲載されることになるのでしょうか?
 ところで、これまでの経験から得た法則、「(笑)とか(爆)を乱発する奴にロクな奴はいない」はまたしても正しかったようですね。ついでに加藤さんに噛み付いていたその人のサイトにも行ってみました。
「このサイト及び管理人とは、一生涯、関わり合いたくないものだ」
この言葉をそっくりそのまま贈呈したい。

>議論は歓迎。喧嘩は厳禁。カフェかもめ亭。
>あやしい書き込みは、警告なしで削除します。
 こういう考えの人じゃ、加藤さんとぶつかるのも無理はないわな。それにしても、加藤さんも女性に噛み付かれることでは誰かに負けてない。僕も久しぶりに噛み付かれてみたくなった。いえ、もちろん他所でやります。


 話は変わって、確かにここに来る荒らしのレベルは低いみたいなので、いっそのこと「荒らし養成講座」などを立ち上げられてはいかがでしょうか。宣伝文句は「加藤講師による通信添削も受けられます。」
 そのうちに段位・級位認定制度が出来たりして(認定機関はもちろん「全荒連」)。

 悪乗りし出すと止まらなくなるのでまたも話題変更。
 ヴァントのブルックナーで満足したはずなのに、いろいろと他の指揮者の演奏でも聴きたくなり、CD検索サイトで調べてみました。どうしても聴きたいものをピックアップしたところ、その数21種類(苦笑)。これから再度の絞り込みを行います。
 ところで、聴いてみたい指揮者の1人にマゼールも入っているのですが、既に持っている5番以外は廃盤になっていることが判明しました。ロンドンレーベルの5番は10年以上も現役盤(廉価版として再登場している)なのに、7番と8番はさっさと廃盤にしやがって!! ある非常に腹立たしいことがあって以来、新譜は絶対に買わないことにしているけれど、このレーベル(東芝EMI)には不愉快な思いをさせられてばっかり。(そういえば、マドレデウスのCDも出していたんだっけ。)
1106 参加なんてしないよ 投稿者:相馬契太 投稿日:2000/06/30(Fri) 10:48
   口出しするって? 俺が?
 何の名目で? 「義憤」か。
 しませんよう、そんなこと。
 今までも参加してなくて、これからも参加する気のない掲示板に揉め事のときだけ加わるなんて、それこそ“荒らし”じゃないですか。さすがに、それくらいはわきまえてます。
 ここと、自分のところではアレコレ言いますが。
http://www.simple1-j.com/k-bbs/kbbs.cgi?bn=010446
1107 日本人は権威に弱いから 投稿者:オールドファン 投稿日:2000/06/30(Fri) 12:17
  > うーん、あの掲示板を見てる人の中に、あの方の読者がどれだけいるか
>は疑問だし、ご機嫌取りの意図はあるかなあ。

 読者がどれだけいるか私も疑問ではありますけども、あの掲示板の過去ログを読んだ限り(最近の盛況ぶりにもう読めなくなっていますが)、C氏(問題の児童文学作家)はかなり偉そうに振る舞っているんですね。産経の書評を担当しているとか、書評の対象書籍を差し替えさせたとか、その他の書き込みにも尊大さが臭ってましたし。
 児童書へのコメントも自分は作家だから偉くて他の人は読者だから1ランク下という書きぶりですね。 
 これを許していたら周りもそのペースに入っちゃいますよ。
 ひこ・田中氏は確かにそれにコメントはしているのだけれど温厚な文章で決してC氏をたしなめてはいませんよね。それもあって、「あの人は現役の作家だから偉そうにしていていいんだ」というのが定着しているように見えました。
 
 一般論ですが、日本人は権威に弱いですからね、「私は作家である、作家でないくせに」という態度をとられると周囲もそう思ってしまうのではないでしょうか。一種の共同幻想ですね。
 それに逆らうのはエネルギーが必要ですが、加藤さんほどのエネルギーを持っている人の方が少ないでしょう。
 加藤さんのエネルギーに触発されてかあの掲示板でも「実は私もC氏のコメントは不愉快だった。」という書き込みが出てきましたね。
 これからどう展開するのか楽しみですね。(野次馬やネ、私は)

 私もサイトがなくなる日まで顔を出します。
1108 投稿者:通行人。 投稿日:2000/06/30(Fri) 20:39
   かげでわるぐちをいうような掲示板はいいんだ
 そんなのもべつにいいけど醜い
http://www2.odn.ne.jp/koji/site.htm
1109 私も権威がほしい 投稿者:加藤 浩司 投稿日:2000/07/01(Sat) 01:26
   荒らし養成講座はハートさんという人が素晴らしいものを書いているので私の出る幕はありません。アドレスはこちら。
http://www.hello.co.jp/~onita/arasi/text2.htm
 あ、マゼールのブルックナー8番でしたら輸入盤が1,000円くらいで売ってますよ。よかったら買って送って差し上げます。

 いやいや相馬さん、名目云々じゃなくて色々言いたくてうずうずしてる様子だから。義憤って、何かに憤ってるんすか。一体何に(笑)。

 ちなみにひこさんが議論に加わったり注意したりしないのはず〜っと前から一貫していて、作家ではない人の暴言にも一切口を出しません。多忙のせいもあるかも知れませんが、管理者であるという立場上、発言に影響力がありすぎることを考えてのスタンスじゃないかと思います。
 それから私にあり余っているのはエネルギーではなく暇です。言い換えればネット以外にエネルギーを注ぐものがない。
 権威に弱いという点では、私も「作家」という肩書きを持つ人は特別な目で見ちゃいますから、似たようなものですね。

 アチラの掲示板でしっかり宣伝してるサイトの掲示板がなんで「カゲ」なのかしらん。プラス、批判と悪口の区別は皆さんできてらっしゃると思いますが。
 掲示板という開かれた場所で発言したら、それがあらゆる所で批評の対象になることを覚悟せにゃならんのだよ。
 それから初めて投稿する時は挨拶とメールアドレスを忘れずに。べつにいいけど醜い。
1110 袋叩き覚悟で 投稿者:しま 投稿日:2000/07/01(Sat) 04:44
   こちらでははじめまして、ですね。
 MLではお世話になってます。
 児童文学書評の掲示板では大変失礼しました。
 どうも私はきちんと自分の意見を相手に理解してもらえるように書けないみたいです。むこうの掲示板でも書きましたが、それが私のネットでの議論に対する考えのねっこにあったのかもしれません。
 あっちの過去ログをずっと読み返して、私の最初の書き込みは、加藤さんの
> 皆さんは児童文学から何を学びましたか。
と言う問いと「掲示板のあり方」の追記にカチンと来た挙げ句の感情的な書き方だったみたいです。
「正義の押し付け」云々は、それこそこっちが決め付けてしまっていた感じですね。それに対してはちゃんと謝罪しておきます。
 ごめんなさい。
1111 うーん 投稿者:泉泰弘 投稿日:2000/07/01(Sat) 09:17
   自分なりに批判と悪口とは区別できているつもりです。

「朝比奈の鈍いブルックナー演奏は我慢できない」(批判)
「朝比奈よ、これ以上老醜をさらしてくれるな」(悪口)

「許光俊よ、おまえの書く文章はまるでなっとらん!」(批判)
「許光俊よ、そんなに嫌ならば、親のあるいは自分の国に帰れ!」(悪口ないし個人攻撃)

 もちろん、批判も根拠を述べなければ単なる悪口に終わってしまいますが・・・・ちなみに、許光俊氏は悪口は決して言いませんが、その子分みたいな鈴木敦史氏は両者の区別が付いていないんじゃないかと思うことがしばしばあります。

 既に存在してましたか、荒らし養成講座。一連の「顛末」を読んでいると、加藤さんなら素晴らしいものが作れると思ったもので。ところで、次回の「顛末」にはここをこうすればもっと良く(悪く?)なるという、「荒らしワンポイントレッスン」なども加えられてはどうかな、と考えました。

 それから、輸入盤が1000円とは素晴らしい。実はジュリーニ盤やショルティ盤、あるいはカラヤン盤(BPOとの録音は全集は現役だが、バラ売りの多くは製造中止らしい)は「国内盤が無理なら輸入盤で」と注文を出したのです。マゼール盤も月曜に頼んできます。うまくいけば800円(生協価格)で入手できるかも。


 話題を例の件に持っていくと、確かにあちらの方々はいわば掲示板での議論にはなれていない人達が多数派のようなので、(「掲示板で起きたことは掲示板で解決せよ」が正論であることは理解しつつも)いっそのこと「公開討論」をこっちに移して続けたらどうかな、と思いました。そろそろ向こうを平和な児童文学談義に専念できる状態に戻してあげないと可哀想かな、という気がしたもので。

 ふと思ったのが、プロレスの掲示板などでいつも揉まれている加藤さん達が露地栽培なら、向こうの人達はそれこそ温室栽培の野菜みたいだな、ということ。いや、水耕の無菌栽培かな。ちょっとした細菌でも入ろうものなら病気で全滅してしまう。だから、培養液には抗生物質を入れるなどして極力異物を排除しなければならない。
 しかしながら、よく考えると水耕栽培野菜は最近市場に占めるシェアが年々増えています。消費者もいわゆる本物の味を知らないから、アクがなくて生でも食べられるホウレンソウの方がいい、と考えるようになっていますし・・・・(またまた自分の専門にたとえてみました。)
 もしかすると掲示板にも同じことが言えるかもしれません。ですから、「どちらが一般的なのか」は微妙なようにも思います。


 最後に、「しま」さん、はじめまして。
 加藤さんがあちらでされていることは、「おかしいと思ったことはおかしいと言う」、これに尽きます。主張を押しつけようとか、ましてや議論に勝って相手をへこませてやろうなどとは絶対に考えたりしない方であることは保証します。(もちろん「腹いせ」等には抗議されますが・・・・)
 こちらで袋叩きに遭うことなどまずないと思います。皆さん十分に成熟された大人ですから。加藤さんが主催されているプロレスの掲示板でも、公式掲示板上でのいわゆる「荒らし」さんが怒鳴り込んだりするようなことが過去にありましたが、常連の方々は皆紳士的に対応されていました。
1112 NETでの議論は難しい 投稿者:オールドファン 投稿日:2000/07/01(Sat) 09:41
  しまさん、初めまして。
 NETでの議論は難しいですね、私もそう思います。
 会話と違って微妙なニュアンスは伝わらないし、逆にそんなつもりで書いた訳でないところが相手に強調されて伝わって、誤解をまねいたり。誤読されてトラブルをまねいたり。
 結局、NETでの議論は「根気よく」しかないと思います。あと、1回はテキストに書いて自分で読んでみるぐらいしか方法はないと思います。
 他に大切なのは「冷静さ」ですか。逆上して暴言を吐いたらおしまいですから。
 私は加藤さんはNET上で議論のできる人だと思っています。こうした人は案外少ないんですね、暴言に走る人が多くて。

通行人さん、初めまして。
 あちらの掲示板に書き込んだ「通行人」さんと同じ方ですか?
 同じ方だとしたらあなたの意見はそれなりの見識だと思います。ただ、あちらの掲示板でこれを書いたら荒らしになってしまうから、この掲示板でのコメントに止めているのですが。
1113 もっと精進しよう 投稿者:泉泰弘 投稿日:2000/07/01(Sat) 17:16
   訳あって、さっきまでTOEFLの模擬試験を受けてました。別に義務ではないけど、今の自分の実力も知りたかったし。訳というのは学生の引率で8月前半に出張しなくてはならなくなったことです。北半球の、それほど好きではない、いやどちらかと言えばキライな国だけど、県費で行けるからまあいいか、と思ったもので引き受けてしまいました。

 それにしても、ヒアリングテストの会話は速すぎてほとんど聞き取れず。にもかかわらず4択のうち2つは明らかにヘンで最初から捨てられるため、残りを勘で選んでいったらそれなりの正答率が得られてしまった。あんなもので能力が把握できるのか大いに疑問だ。
 問題のスコアは・・・・・It's a secret.

 それから午前中の書き込みに訂正。許氏が悪口を言わなくなったのはここ2年ほどのことで、それ以前はアバドをバカ呼ばわりするなどしていました。彼は最近少し丸くなった(メジャー誌に寄稿するようになって原稿料もアップすると過激なことは書けなくなるのだろうが)だけでなく、徒党を作っているのが少し気に掛かります。間違ってもU氏と同じ道は歩んでもらいたくないです。
1114 パイヤール 投稿者:加藤 浩司 投稿日:2000/07/02(Sun) 00:52
   しまさん、こんにちは。
 ちょっと偉そうな言い方になってしまうけど、こうして最後まで責任を持ってコメントを下さったのはとても嬉しく思います。
「押し付けだ」と言った人の中で、「どこが押し付けなのですか」と聞いて返答をくれたのはしまさんだけで、あとはダンマリ。この差は大きいと思います。とても。

「児童文学から何を学びましたか」という言葉と「掲示板のあり方」の追記は、人の神経を逆撫でするのを承知でやった、言わば「確信犯」です。もちろん誰ぞやのような「腹いせ」ではなく、気持を伝えるために必要だと思ったからそうしたのですが。
 今でもそれが間違っていたとは思いませんが、それがあらぬ反発を招いてしまったことについては、自分の表現能力への反省材料として心の中に留めておきます。


 パイヤールのコンサートへ。
 いきなり席を間違えた。
 2階なのに、一番安いから3階だと思い込んで3階に行ってしまった。幸い空席があったので第一部は3階で聴いてしまう。楽団をほぼ真横から見下ろす格好で悪くなかった。
 で、第二部は2階。うわ、楽団員の背中しか見えない。でも指揮者のパイヤールの顔が見える。器楽曲はまだいいが、声楽曲はいかん。ソプラノ歌手があっち向いて唄ってるんだから。
 最後の曲は「カノン」。さすがなり。
 アンコールは「G線上のアリア」にちがいないと思っていたら、なんと「七つの子」(ほか2曲)。これがまた絶品。欧米人の演奏だと却ってメロディの美しさが際立つような気がする。

 それにしても室内楽の人気のないことよ。世界屈指のパイヤール室内管弦楽団の公演で席が7割程度しか埋まらないとは。
 オケやソロに比べて刺激が少ないのは確かだから仕方ないのか。「興奮のるつぼ」になんて絶対ならない。
 アンコール曲がもうないと知っているからってさっさと席を立つ連中は、拍手をアンコールの催促のためのものと勘違いしているにちがいない。
1115 Re: パイヤール 投稿者:泉泰弘 投稿日:2000/07/03(Mon) 18:52
   パイヤール室内管弦楽団ではモーツァルトのディヴェルティメント第17番(K.334)のディスクを持っています。第3楽章が「モーツァルトのメヌエット」として特に有名な曲です。まさに絹のような手触りというべき上質な演奏です。しかしながら、カラヤン&BPOのように重厚でもなく、古楽器派のように過激でもない演奏では今ひとつ注目を集められないのも仕方がない気がします。
 やはりクラシック・ブームが過去のものとなった最近の我が国の状況では、「地味だけど実力がある」では客は呼べないようです。もし金を払ってチケットを買った人のみ(招待券のバラ播きなし)で7割の入りだったとしたら、かなりのものだと思います。「クラシックB級グルメ読本」によると、外来演奏家のコンサートでも半分以上が招待客というケースは珍しくないとか。)

 愛知県芸術劇場や名古屋市民会館に行っていた頃は、休憩後に堂々と1階の空席(S席相当)に移動していました。また、ナゴヤ球場ではバックネット裏2階席(それでも内野指定A¥3,300)にいったん座り、終盤に空いているシーズン席(いわゆるボックス・シート)に移りました。目の高さで観るゲームは最高だったなぁ!(姑息な奴)

 昨日本屋に行ったら珍しくレコ芸が置いてあり、しかも紐で縛ってなかった。お陰で特集「21世紀を担う指揮者は誰か?」を立ち読みすることができました。評論家による投票では1位からラトル、ゲルギエフ(聴いた限りでは必ずしもトホホではなかった)、シャイー、チョン、サロネンの順となっていましたが、これは順当なところでしょう。(ただ6位のダニエル・ハーディングという名前は初めて聞きました。フィギュアスケートでスキャンダルを振りまいたトーニャ・ハーディングは知ってますが。)
 何よりも目を引いたのは同点10位、日本人では第1位に佐渡裕が選ばれていたこと。フランスなどでの活躍により、ようやく(権威主義集団の)我が国の評論家陣に認められてきたということでしょう。誰かが書いていたように、彼の夢であるベルリン・フィルを振ること、それも師のバーンスタインが同オーケストラで超名演を成し遂げたマーラーの交響曲第9番によって実現することを僕も期待しています。
1116 ジメジメ漫画 投稿者:加藤 浩司 投稿日:2000/07/04(Tue) 01:46
   三原順の短編集を読んでみたが、うむむ、これもジメジメタイプ。苦手じゃ。「はみだしっ子」は読んだものかどうか。
 山岸涼子の比較的新しい作品「ツタンカーメン」。面白かったが、あえて今まで読んだ作品と比べると、圧倒的な吸引力は感じなかった。もっと短くまとめた方が面白かったかも。だが登場人物の描かれ方はいい。

 S席に移動してしまうという手があったか。今度からはそうしよう。ちなみにパイヤールのチケットは、朝日新聞でプレゼントの応募の記事がありました。送ってみたけどハズレでした。
1117 まあ、読んでおきなさい 投稿者:相馬契太 投稿日:2000/07/04(Tue) 11:52
   あの自意識過剰がいいんじゃないか。
 まあ、読んでおきなさいな。『はみだしっ子』。
 西原理恵子『ちくろ幼稚園ぜんぶ』(小学館)も買いなさい。
 それから、すっと言ってるけど、萩尾望都なら、現在連載中の『残酷な神が支配する』を読もうよ。いま15巻まで。

 なんだかんだと文句をつけながらも、かの児童文学作者のHPから寺村輝夫が講談社現代新書から本を出してることを知る。
 これはいいと書店で探すも、絶版本。
 くそー、そんなもん薦めるな。おかげで古本屋通いの日々だ。
 一言書いとけよ。まったくもう。
 しかたなく夏目房之介『マンガと「戦争」』買う。
http://www.simple1-j.com/k-bbs/kbbs.cgi?bn
1118 いっそ青池保子を 投稿者:オールドファン 投稿日:2000/07/04(Tue) 16:11
   勤務時間中なので簡潔に 
 三原順はジメジメマンガでお気に召さないですか。でしたら、「はみだしっ子」は避けた方が無難でしょうね。なにせ、身寄りのない孤児達のお話ですから。特に前半はずっとジメジメです。後半は子供達がかなりタフになってきますけれども。
 三原順にもジメジメマンガでない「ルーとソロモン」なんてコメディもあります。

 ただ、暗かったりジメジメしていたりといったのを避けてしまうと70年代の少女マンガの名作の半数は落ちてしまいます。
 吉田秋生の「カリフォルニア物語」も、私の好きなささやななえの作品や、ぐらびいさんの好きな高橋亮子の作品の多分ダメでしょう。
 
 いっそ、青池保子を読んでみてはいかがでしょう。骨太なマンガ家です。
「エロイカより愛をこめて」「Z」などなど。皆、面白いですよ。
 私にとってニジンスキーといえば有吉京子ではなくて青池保子を連想するくらいですから。
1119 もとやまれいこさんはいかがです?
投稿者:じゅんのすけ 投稿日:2000/07/05(Wed) 15:22
   はじめまして。少女漫画のおすすめをしてよいですか?

 ジメジメ…じゃないんだけれど、おかしいんだけれど、でも、読後、なんか寂しいなあ…って気になっちゃう、もとやまれ いこさんの作品のファンでした。
 おすすめは、「俺のきらいな暁三へ」。その中に出てくる、“梅ぼし”の話がよかったな。他、「墓場グループの誕生日」「幸福なパパたちへ」「あばずれの日々」なんかがグッドでした。少女コミックに掲載されていたのですが、惜しむらくは単行本が多分もう絶版になっていること…。いい漫画家だと思うんだけどなあ…。復刊してくれないかな…。
1120 無垢という言葉は朴念仁のために
投稿者:梨屋アリエ 投稿日:2000/07/05(Wed) 15:32
   こんにちは。
 楽しく傍観にいそしんでいた卑怯者のアリエです。
 例の映画の話、続けようと思ってたんだけど、タイミングをはずし、なんか今更なので書きにくい……。


>  前半は結構フツウに観られましたね。でも徐々に退屈し出して、「1人50フランで400人」でプツリと何かが切れてしまった。

 なぜ? 学生相手にお手ごろな価格にしたんじゃない?

>  一応不満点を挙げると、まず主人公の少女。孤独感ゆえ男に深入りというのはわかるけれど、肝心の孤独感が伝わって来なかった。親と仲が悪いわけでもないし。「仲が悪いわけじゃないけど溝がある」という風にも見えなかった。

 あの孤独は、冒頭の朝のシーンと作文や手紙のシーンで私はOKでした。それに、たぶん、監督は「フツーの子」を書きたかったんだと思います。
 主人公は両親のいる家庭で育ち、いちおう男友達もいたし、成績もよかったですよね。
 ふつーのイイコが実は……。

>  友達の少女。映画の冒頭で「大人になりたくない云々」というテーマ(?)を示しているけれど、その後の言動からそうした心情が読み取れなかった。また、死んだ姉の影を引きずるという設定も生かされていなかったような。

 姉の死よりも、姉の自殺によって家の中がくらくなって両親がリコンをしてしまったことを引きずっているのだと思う。
 彼女は姉がいた頃の「幸せだった子ども時代」を求めているだけで、本当は姉なんかどうでもいいんだと思う。姉の殻を逃げ場にしただけ。

>  少年については、もうなんだかわからん(笑)。どうしても国外に逃げたいという心情、少女を突然裏切った心情、説明殆どナシ。

 裏切り者の少年は、好きな子にこっぴどく振られてたじゃない。ものすごいショックだったんだと思う。愛と女性に不信感を抱いていたし、父子家庭というのも背景にあるのかも。
 少年は主人公のことをすごく軽蔑してたよねー。
 
>  描こうとしているものは頭では理解できたけれども、心には全く伝わって来ず、あの映画から切実な部分を取り除くと事件の滑稽さだけが残ってしまったと。もう笑うか怒るかしかないわけです。

 それでは、監督の勉強不足ということで、おさめましょうか。

>  へえ。監督は「実際にあった事件をもとに」と言ってましたよね。
>  私の想像ですが、現実の少女達はあの「仕事」に乗り気だったんじゃないかと。それを監督がああいう風に脚色したんじゃないかと思います。それで実状とずれてしまったという。

 多少は乗り気だったでしょうね。精神的に判断力が落ちていた可能性はあるけど。
 でも映画の中でも、主人公は自分からすすんでやったって言い張ってましたよね。それでも自己決定権が尊重されていないのは、子どもだからというより少女だからかなって思いました。
 そこには性産業へ関わる人へのサベツが含まれているし、家父長制度の血を守ることから続いている娘の性を大人が管理するのが当然という価値がある。(息子の性は管理しない)
 オジサンたちは、少女を被害者にしたいんです。

>  そう言えば共犯の少女の「私4キロ痩せたわ。あなたどうしてそんなに強いの」というセリフも笑えた。言われてみればあれは「一途」を表現するためのセリフだったのかも。

 このシーンはダメ。私には理解不能でした。


 さてさて。
 論理的な思考をする人って、創作よりも評論家にむいてるんじゃないかなーって思います。しかし、児童文学に限らず、論理的な評論家がどれだけ存在しているかというと……?
 それとも日本の論壇は、人格攻撃OKなのか。
 ↑プロレスのほうが理性的?

>権威に弱いという点では、私も「作家」という肩書きを持つ人は特別な
>目で見ちゃいますから、似たようなものですね。

 きゃあ。ねーねー、私は私は〜(^^) ←バカ。

 私も権威は嫌いですが、権威に対する反権威も、ある意味で権威なのではないかなーと思います。いかがでしょう?
 対抗って、力ですよね。
 キリスト教で言うところの無宗教もまたひとつのキリスト教だー、みたいな。
 二項対立は古臭いからもうやめようよ、とニーチェは言ったらしい。と、すぐに権威を持ち出す私。けけけ。(みなさんほっといてください。)
 権威を破壊した先に、なにを求めるのか。そこんとこをみつめて議論しないと、論破した所で空しさしかのこらないような気がするんですよね……。ギャラリーにも、とまどいがあるわけです。静観しているのじゃなくて、言いたいけれど言えない状態ですよ。
(少なくとも、私の知り合いのなかでは。)
 近代の歴史って世俗化の歴史じゃないですか。(と、J大の哲学の教授は言った←権威。)
 インターネットってまさに近代思想の理想世界なんだと思うんです。(と、都の青少年センターのメディアリテラシー講座の講師は言った。←権威。)
 だけど、ふるいヒエラルキーの社会構造でしか人を見られないタイプ(たいてい無自覚)もたくさんいるわけで、そういう人は、実社会での社会的立場を表明しつづけずにいられないのね。素の自分を見ないで生きてきてるから。
 そういう人たちとどう有意義に世界を共有するか、が大きな問題ではないでしょうか。
 ヒエラルキーを脱した並列社会の中で、議論をするのって、とても難しい。勝つことがヒエラルキーを作ってしまったら、そこで新たな反発がうまれるのではないか、と。
 議論の中身が「オレの言うことを聞け」の応酬になってしまったら、人は動かない。意見を示すのはとても大切ですけど、出しただけでは先に進まないし、正論だけでは人は動かない。
 ……なんでこんなことを書いているのかというと、今回のことで物語の必要性というものが判ったからです。
 なんだそりゃーと言われそうだけど、まだうまくまとまらないので書けません。なんだそりゃー。とにかく、ありりん的には勉強になりました。
http://www.aririn.com/
1121 無敵という言葉は朴セリのために 投稿者:泉泰弘 投稿日:2000/07/05(Wed) 19:16
   生協に注文したCDのうち1/3は廃盤で、しかも輸入盤は(2割引で買える)生協のルートには乗ってこないという返事。もしかすると加藤さんのご厚意に甘えることになるかもしれません。その前に名古屋に行く機会があるので探してみますが。
(確認したいのですが、マゼール盤が1000円というのは中古でしょうか?)
 他にも入手不可能という返事をもらったものがあります。集英社ラテンアメリカ文庫のうち、なかなか届かなかった3冊は絶版だとか。他はあらかた読んでしまい、残っているのはコルタサルの「石蹴り遊び」(上下2冊)のみ。何より痛いのがチェーホフ全集(筑摩文庫)の品切れ。これで夏休みに読む本がなくなった。どうしよう。困った困った。

権威に対するアリエさんのお考えを読んで思ったこと
 「あなたは政府を支持しますか?」という問いに対して、「支持しない」は反権威であり、対抗であり、かつ力なのでしょうが、「知らん」は「非権威」「脱権威」とでも呼ぶべきもので、反権威とは違うのではないかという気がします。
 キリスト教が出たついでに書きますと、聖書学者の田川建三氏によれば、イエスは反権威よりは非権威に近かったとのことです。また、「罪人こそが天国に入る」というのは彼の唱えた思想ではなく、彼の死後に原始キリスト教会が作り上げたものだったようです。義人にせよ罪人にせよ、選ばれた人間のみが救われるというのであれば、救われる対象が違うだけでユダヤ教もキリスト教も同じ。(田川氏はこのように批判しています。「キリスト教はいつもイエスを通り越してユダヤ教の思想を継承したがる。」)そうではなくて、イエスは「義人も罪人もいない。いや、罪などというものが最初からないのだ。」ということが言いたかったからこそ、命がけで説教を行ったということです。面白いことに、田川氏の著書「イエスという男」を読んで浮かんでくるイエス像というのは、ニーチェと重なってくるところが結構多いのです。(ニーチェが躍起になって批判したイエスというのは、後生の信者によって作り上げられた虚像に過ぎなかったのでした。)

 さて、だいぶ脱線したので話を戻すと、「非権威」すなわち「そもそも権威などというものはないんだ」という考え方に従えば、権威を破壊して新しい権威をうち立てる必要も無いんじゃないかという気がします。権威を新たに立てるのはシンドイけれども、「権威をコケにする」のはオモロイ。(許光俊氏の「邪悪」もこれに近いと思う。)

>権威を破壊した先に、なにを求めるのか。そこんとこを
>みつめて議論しないと、論破した所で空しさしかのこらないような
>気がするんですよね……。
 「空しさしか残らない」、素晴らしいじゃないですか! 「照見五蘊皆空」(見るもの全ては空である=般若心経の一節)、釈尊は弟子の舎利仏にこのように語っております。ちなみに、イエスの生涯の中で全く行状が判っていない5年ほどの間、彼はインドで仏教を学んでいたという説もあるそうでございます。もしそうだとするならば、彼が一切の権威はおろか、善悪という考え方も否定しようとしたこともよく理解できるわけであります(結局脱線ばっかし)。

 余談であるが、僕があの槍玉に挙げられた作家さんに対して「関わりたくない」と思ったのは、権威が嫌いだからではなくて、自分のサイトの自己紹介で「動物が好き」と書きながら、蟻、蜂、ゴキブリを嫌いとほざいていたから。(「甘っちょろいことぬかすな!」と怒鳴りつけたい気持ちだが、書き出すと止まらなくなるので止めておく。)
 こういうことを言う人間は、1.綺麗事で生きている人間、2.好き嫌い(感情)が行動原理の大部分を占めている人間、3.矛盾に気づかぬ愚か者、4.矛盾を知りながら矛盾した行動をとってしまう不条理人間、のどれかに入るのではないかと思う。このうち関わりたいのは、死ぬまで神の存在を疑いながら敬虔なロシア正教の信者であったドストエフスキーのような4番目のタイプだけだが、件の人物がそうである可能性は皆無だろう。

 さてさて、加藤さんが述べられていたように、相手の問いかけにしっかりと返答するか否かという違いはものすごく大きいですね。これは議論の「勝ち負け」の千倍も重要なことだと思うのです。同じように正論を展開しているように見えても、対応が不誠実な人間は勝ち負けだけを考えており、誠実な人間は議論終結後の雰囲気ことまで考えている。こう言い切っても良いのでは?(勝つために都合の悪いことを無視するというのだったら荒らしと一緒。)僕はネット上での議論を鑑賞する際には、どちらが優勢であるかということには重きを置きません。どちらが誠実であるかの方に注目します。饒舌さ、つまり技術よりも人間性の方が言うまでもなく重要ですから。
 結局のところ、この「誠実であること」は、(書いてあることがそのままでしか伝わらない)ネット上で相互理解に至る唯一の途ではないかとも思います。そのためにも、オールドファンさんが書かれていたように「根気よく」自分の人間性を伝えることに努めていこうと考えています。(時々アホな投稿をするのもそのためです。←ウソばっか。)
 最後に、これまでの経験から得た教訓。
「ネット上では何を語るか(what)以上に、どのように語るか(how)が重要である」
1122 Re:無敵という言葉は朴セリのために
投稿者:梨屋アリエ 投稿日:2000/07/05(Wed) 19:59
   泉泰弘さん。こんにちはー。
 (朴セリってなんだろう。)

>  「あなたは政府を支持しますか?」という問いに対して、「支持しない」は反権威であり、対抗であり、かつ力なのでしょうが、「知らん」は「非権威」「脱権威」とでも呼ぶべきもので、反権威とは違うのではないかという気がします。


 政府を支持というたとえは適切ではないと思います。ワタクシ個人が支持すること自体は、権威ではないからです。
 非支持と反権威は別のものですよね。
 どのような時に権威が生まれるかをお考えいただけると、ご理解いただけると思います。
 
 あと、宗教を持ち出すと話がこじれることを忘れていました。
 私がたとえとして書いたのは現代のキリスト教文化圏のいうところのカウンターとしての無宗教で、先祖教徒の日本人がぼんやり思っている無宗教とは完全に異なりますし、キリスト教のことには興味がありません。
 
>  さて、だいぶ脱線したので話を戻すと、「非権威」すなわち「そもそも権威などというものはないんだ」という考え方に従えば、権威を破壊して新しい権威をうち立てる必要も無いんじゃないかという気がします。権威を新たに立てるのはシンドイけれども、「権威をコケにする」のはオモロイ。(許光俊氏の「邪悪」もこれに近いと思う。)

 権威をコケにするということは、それだけ権威を強調していることですね。コケにすることは、権威のひとつです。
 権威なんてものがないのなら、コケられません。(笑)
 権威が無いものでもコケにしていれば、そこに権威が発生するような気がします。

>  「空しさしか残らない」、素晴らしいじゃないですか! 「照見五蘊

 それならそれで、いいんですけど。
 発展のない議論は、空しくないですか? 
 暇つぶしにはなりますけどね。

 加藤さん、ここの掲示板て、前よりも見てる人が増えましたねーっ。

http://www.aririn.com/

1123 ホモについて 投稿者:たけうち ひろまさ 投稿日:2000/07/06(Thu) 01:21
   ぼくは中3です。しかし女子には興味がありません。
 男子とすごくエッチがしたいです。
 オナニーをする時もチンチンを想像しながらします。
 だれかオチンチンをぼくにしゃぶらせてください。
 ぼくのもしゃぶっていいです。
 電話下さい。
1124 アホ投稿ありがとう 投稿者:加藤 浩司 投稿日:2000/07/06(Thu) 02:14
  「はみだしっ子」はバラで買ってみるか。
「残酷な神が支配する」は以前古本屋で見掛けたけど、古本のくせに高かった。新品320円の時代はどこへやら。
 70年代というのは少女漫画の手法がドバッと出て来た時期なんでしょうか。少年漫画が「巨人の星」のような過剰表現から大友克洋やあだち充のような醒めた表現に移って行ったみたいに、少女漫画も変わって来てるのかな。それともジメジメはジメジメとして残っているのか。
 青池保子という名前は初めて聞きました。

 このところ吾妻ひでおを読んでるが、期待したほど気に入った作品に当たらない。「不条理日記」が読みたいのだが今は手に入るのかどうか。
 西原理恵子「まあじゃん放浪記」。これはいい。だが私は賭けに負けると本気で落ち込むたちなので、読んでて落ち込みそうになることがある。しかし一晩でン十万負けるとか、よくやるわい。
 思わずパソコンの付録の麻雀やったが面白くなかった。


> >  前半は結構フツウに観られましたね。でも徐々に退屈し出して、「1人50フランで400人」でプツリと何かが切れてしまった。
>  なぜ? 学生相手にお手ごろな価格にしたんじゃない?

 いやあ、400という数字の膨大さがなんかツボにはまってしまって。なんとなく滑稽だったという感じなのでうまく説明できないんですけど。

 この映画へのアリエさんの解釈は辻褄は全部合ってると思います。あとはどれだけの人の共感を得られたかということでしょうか。もっとも私はそういう数字よりも「識者」の評価を重視します(←このあたりは見事に権威を尊重してる)。

> それとも日本の論壇は、人格攻撃OKなのか。
>  ↑プロレスのほうが理性的?

 いえ、最も魑魅魍魎の溢れた世界だと思います。
 そういう世界だから鍛えられて議論に慣れた人も多いかな。私なんかは議論したり文章を書いたりする力はプロレスサイトで随分鍛えられた気がします。

> >権威に弱いという点では、私も「作家」という肩書きを持つ人は特別な
> >目で見ちゃいますから、似たようなものですね。
>  きゃあ。ねーねー、私は私は〜(^^) ←バカ。

 へへ〜(平身低頭)。

>  私も権威は嫌いですが、権威に対する反権威も、ある意味で
> 権威なのではないかなーと思います。いかがでしょう?

 私は権威主義ではないつもりだけど、権威をかなり尊重するたちなんですよ。人気の有無よりも「識者」の評価を気にして、自分の意見と照らし合わせてあれこれ考えます。
 よその掲示板で今話題になっているジェンダーなんかも、生き方を縛り付けるのはもちろんいけないけれど、「古来の価値観」にあまり批判的ではありません。差別と紙一重なので意見を述べるには慎重になりますけど。
 まあこれは余談です。

>  権威を破壊した先に、なにを求めるのか。そこんとこを
> みつめて議論しないと、論破した所で空しさしかのこらないような
> 気がするんですよね……。ギャラリーにも、とまどいがあるわけです。
> 静観しているのじゃなくて、言いたいけれど言えない状態ですよ。

 児童文学書評の掲示板の件では権威は意識しませんでしたね。最初のお説教に「なんだこいつ」というのが先にあって、ホームページを見て「なんだ、この人作家かいな」。しかもそのホームページの中身がまた「なんだこいつ」だったものだからチーパッパ。
 あの方は途中で開き直ったので、私の興味は他の人達の姿勢に移って行きました。いずれにしても静観するのは正当な選択だと思います。掲示板を見てる人全員が発言したら収拾が付きませんから。イカンのは議論をやめろと言ったり邪魔したりすること。

>  議論の中身が「オレの言うことを聞け」の応酬になってしまったら、
> 人は動かない。意見を示すのはとても大切ですけど、
> 出しただけでは先に進まないし、正論だけでは人は動かない。

 今回厄介だったのは「反論のための反論」が多かったことかな。人の意見を矮小化して反論するというやり方に対して「私の言いたいことはこうです」といちいち丁寧に説明したらパンクしてしまう。その手の反論に対しては結構ぞんざいに対応してました(結局返答は殆どなかった)。
 意見の根幹はきちんと述べたつもりだったけど、どうなんだろう。

 ところで泉さんの
> 「空しさしか残らない」、素晴らしいじゃないですか!

 これは反論というより混ぜっ返してる。ええい、話をややこしくするでない。
 マゼール盤ブルックナーは新品が1,000円でした。


 じゅんのすけさん、こんにちは。もとやまれいこ、名前は聞いたことがあるような気がします。古本屋に行った時に気を付けてみます。
1125 色即是空 空即是色 投稿者:泉泰弘 投稿日:2000/07/06(Thu) 08:59
   朴セリは米国で活躍している韓国人女性プロゴルファーです。昨年はタイガー・ウッズ級の無敵の強さを発揮していましたが、今年は普通の強豪といったところです。

>キリスト教文化圏のいうところのカウンターとしての無宗教
 ああ、無神論のことですね。それなら解ります。確かにそれなら権威であり、力です。
 ちなみに、普遍的日本人の「無宗教」に対する適当な訳語はないようですね。そういえば、西語の教師から「宗教を尋ねられたらとりあえずBudistaと答えておけ。無神論者(ateo)というのはよっぽどの覚悟で棄教した人のことを指すのだから、そう答えるとトラブルになりかねない。」と言われたことがあります。

 それから、「コケにする」という表現は良くなかった。身近なところで例を示すと、「私は○○アカデミーの会員である」と誇らしげに語る大先生に対し、「何だ、そんなもの」と反感を示すのではなく、「ふーん」「あっそう」とあくまで無関心でいる(決して装うのではなく、心底から無関心を保つ)というのが僕の頭にある「コケにする」でした。
 ちなみに、そうやっていても権威は発生するかもしれない。でも、そこまでは否定しようとは思わない。そうなったらそうなったで考えればいい。自然発生した権威を守ろうとするか、あくまで諸行無常でいくかを。

 「全ては空である」を徹底的に突き詰めていくと、全てが面白く見えてくる。ある在家仏教者がこのように語っています。「色即是空がぐるっとひっくり返って空即是色になる」ということです。(これは自分自身にも実際に何度か起こったことです。)この点に関してはいくらでも続けられるけれど、混ぜっ返しはこの位にします。


 熊谷農機という会社が制作している肥料混合機、その名も「マゼ〜ル」(「ー」ではなく「〜」がミソ)。他にも農業資材には「ダニトール」「ネマコロリ」「くん炭(燻炭)くん」など笑えるものが多い。
 新品が1枚1000円ですか! なら7番と8番両方買っても7番の国内盤(3008円)より安い。もしかして、この価格設定が早々に廃盤になった原因ではないのか? 
 しつこいようですが、8番の演奏時間は80分を少し越えていて、それでいて1枚に入って1000円ですか(国内盤は2枚組5600円)! 驚嘆するなぁ。(あの国内メーカーは何をやっているのか?)


 最後に、しまさんにおきましては、僕の何気ない引用によって随分と気分を害されてしまったようです。この場を借りてお詫び申し上げます。
1126 む、宗教か 投稿者:相馬契太 投稿日:2000/07/06(Thu) 09:36
   なにかいろいろ言いたいことがあった気がするが、まとまらない。
「論理的じゃない作家」というのはどうでしょう。
 少なくとも、読みたいとは思わないな。
 ま、それはそれとして、「権威」を言うなら、件の作家の掲示板参加の立場というのはどこなのか、と。
 何度か書かれていた「作家になれる方法なら教えられる」の果ては、結局自慢にしか行き着かないのでは。
 ペンネームとHNを変えておきながら、自分のHPではそのことを明かしてしまって、結局それは、自分の作家という立場を強調、ごり押ししていることにならないか。
 作家という肩書きなしではものを言えない人と、俺は判断しました。
 じゃあ、取り巻きの人とだけ付き合っていればいいんじゃないの。
 そうじゃない人に、そんな立場から、訓示たれないで欲しいよ。


 女性マンガ家、岩舘真理子・吉野朔美・近藤ようこなどが思いつきました。
 どれも面白いと思います。
 特に『キララのキ』(岩館)、『恋愛的瞬間』(吉野)は好きだな。
http://www.simple1-j.com/k-bbs/kbbs.cgi?bn=010446
1127 もとやま礼子は私も好きでした
投稿者:オールドファン 投稿日:2000/07/06(Thu) 12:34
  じゅんのすけさん初めまして
 もとやま礼子は私も好きでした。ジメジメとはほど遠い、読後に元気の出るマンガ家だったと記憶しています。読後感も絵柄も、もとやま礼子と松本るいはよく似ていたのにもとやま礼子は小学館、松本るいは講談社の専属だったんですね。
 短編の名手だったところも二人はよく似ていました。短編の名手だったのが災いしたのかみんな絶版なのは悲しいですね。
1128 70年代は少女マンガの黄金期
投稿者:オールドファン 投稿日:2000/07/06(Thu) 13:02
   70年代は少女マンガの黄金期でしょう。それまでの「少女マンガ」の固定観念を崩して多様な表現を獲得できた時代でした。
 いわゆる花の24年組と呼ばれた世代(萩尾望都、竹宮恵子等)は20才頃に「70年安保=新左翼」の洗礼を受けているんですね。時代が理屈っぽかったのも大きかったのでしょう。
 それまでは「外国」が舞台で「愛だの恋だの女の子のあこがれ」を描けばよかった(それ以外は不可)のを否定したら何でもありになってしまった。良い方向にですが。
 当時の別マ(別冊マーガレットの略称)のキャッチフレーズは「小学生からOLまで」とあって、大人の読むに耐える雑誌であることを自他ともに認めてました。そんな時代でしたね。
 丁度、少年マンガが煮詰まってしまっていて少女マンガは新鮮でした。
 魔球だの超人だのが跳梁跋扈する少年誌に対して「ありもしない魔球にたよろうとするな」(「エースをねらえ」、宗方コーチのセリフ)と言い切る少女マンガの方が私にはリアリティがありました。
 フランス革命を「マリー・アントワネットはかわいそう」で終わらせずに「革命」を描ききった「ベルサイユのバラ」。少年誌ではこれだけのスケールのマンガは描けないでしょう。「勝敗」か「出世」ぐらいしか少年マンガの描くテーマはなかったですから。質的には少年マンガを圧倒してしましたね。
 当時煮詰まってしまっていた少年マンガが突然ラブコメブームを迎えたのも好対照でした。「キック・オフ」だの村井秀夫(でしたっけ?)だのは古い少女マンガの焼き直しだし、あだち充は少女コミックから少年誌へ転向した作家で、少女マンガの手法そのままで人気を博していた。
 そもそもラブコメという言葉は少女マンガの専売特許だったのにそれが少年誌に行って、少女マンガは人生を語っていたんですから。

 現状はどうかというと結局は読者のレベルにあったマンガしかないですから、幼い作品が大半になってしまいました。ただ、上質なレディース・コミックは今でも男性誌より面白いですね。男性誌は頭を使わずに読める(悪く言えば時間つぶし)けれど女性作家の作品は頭を使いますから。
 原作付きですが、「凍りついた瞳」(ささやななえ・集英社)なんて作品は男性誌ではとうてい描けないと思います。
1129 泉さんへ 投稿者:しま 投稿日:2000/07/06(Thu) 13:51
   ありがとうございました。
 でも、確かにヘコんだことはヘコんだけど、根に持ってる訳ではありません。

 今回のことがあって、結果的に私自身にはとてもプラスだったと今は思ってます。
 頭から不毛だと思ってたネットの議論、その決着がどうとかよりも、議論することで全然思っても見なかったものが見えてきたり、自分でじっくりと考えてみることが出来たり・・・。
 加藤さん、泉さんをはじめとした皆さんのおかげかなっと、そう思ってます。

 ところで、関係ないのですが、三原順の作品では「SON'S」「ムーン・ライディング」あたりはどうでしょうか?加藤さん。
1130 論理的じゃない作家 投稿者:加藤 浩司 投稿日:2000/07/07(Fri) 01:20
   マゼールのブルックナー8番はCD1枚に収まってるようですねえ。とんでもないハイテンポの楽章があるのかな。
 EMIはホームページの更新も遅いし、見事にだらけてますな。マドレデウスの「ライヴ・イン・リスボン」を廃盤にしたのには呆れてものも言えず、とこれはファンのエゴか。

「論理的じゃない作家」……諸星大二郎なんかそういうイメージあります。永井豪も。灰谷健次郎や畑正憲もあまり論理的ではないと思います。
 絵で言えば「デッサン力はないけど迫力がある」というタイプ。諸星大二郎とか。山岸涼子……はちょっと違うか。

 70年代の少女漫画は凄かったらしいですね。
 読み始めてわかったのは、少女漫画の名作には「弱者の痛み」がよく表現されているものが実に多いということ。その点少年漫画は安易なヒーローもの、勧善懲悪ものに偏っている。

 むむ、三原順のお薦め漫画がまたも。探してみます。