(2001.5.24〜2001.6.16)
1801 | めちゃめちゃご無沙汰してました。 投稿者:紅王無職 01/05/24 Thu 01:15:24 |
ええ、掲示板が一度見られなくなってから、検索しておらず、ぜんぜん書き込みしておりませんでした。紅王大樹改め、無職です。 失業中です。なんともかんとも。 「どうしたんだ?」と心配していた方(いないよな)、「ちょいと書き込んですぐいなくなるとは、根性なしめ」と思っていた方(当然です)、申し訳ない。また、ちょくちょく身に雇用、もとい来ようと思うのでよろしく。 さて、幻魔大戦の音楽がキース・エマーソンというのは、プログレ好きには有名な話しですが、ELPファンとしては隠しておきたい裏仕事のひとつです。 何も知らない人は、ひょっとすると、「お、盛り上がる曲だ」などと思うかもしれませんが、彼の実力の五万分の一も使っていません。 おそらく、鼻くそでもほじりながらほいほいと書いた曲なのでは。 映画は大友克洋の絵や声優が非常にいい味だしてると思うのですが、ラストシーンでの音楽は、夫婦ともども、いつも失笑しながら見ざるをえないのです。 |
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1802 | 失速か 投稿者:加藤浩司 01/05/25 Fri 00:40:46 |
うっかり仕事をしてしまい読書は失速。それでも13巻読了間近。 一度読むのをやめてしまうと、いつ再開するかわかったものじゃないからできるだけ途切れないようにしている。 元々活字は苦手な方で、10年くらい前に買ってまだ読んでない本が山ほどあるくらい。酒といい本といい、よくよくためるのが得意らしい。 その酒だがジントニックはそこそこうまいことを発見。 サワーもジンベースでも構わないということがわかり、青リンゴサワーなぞ飲んでみる。だがこれも甘くない……。 サワー2杯でこんなに酔うなんておかしいぞと思ったが、考えてみれば50度近いジンを4倍に薄めたところでワインや日本酒と遜色ない濃さ。つまみなしで2杯飲めば、そりゃ酔うさ。もっとも、ここを見てる何割かの人の基準から言えば<微量>かな。 居酒屋のサワーの薄さは詐欺あるな。安い店にばかり行くからか。 「幻魔大戦」、日本での組織のあれこれは13巻でも依然続いている。だが展開のもたつきはない。うっかり「はしょるだろう」とかほざいてしまった。 この物語における世界観は、道具立てとしての創作物などではなく、平井和正本人の世界観そのもののようだ。そこに「幻魔」なるものを存在せしめてSF作品に仕立て上げている。この話は長くなりそうなのでまた今度。 紅王さん、ごぶさたです。前に投稿された時は黒鯖氏だったような。 そんなダメ曲なんですか。記憶はおぼろげなれどサビは耳に残ってます。 |
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1803 | 壊れたか 投稿者:加藤浩司 01/05/30 Wed 00:45:39 |
飲み会やら仕事やらでペースダウンしたがどうにか「幻魔大戦」を17巻まで読み終えた。 「壊れてまるまる1冊宗教の話」というのは17巻だろうか。確かに世界観人間観が延々語られているが、ストーリーを離れて暴走しているわけでもなく、むしろスリリングでドラマチックだ。 <名文句> 老成ぶった顔付の夏本は完全に幼稚な本性を露呈してしまっている。全てその場の感情次第で流されるのだ。女にはありがちなことだが、あまりにも女臭すぎて閉口する。 |
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1804 | 誰か一緒に行って〜ん 投稿者:加藤浩司 01/05/26 Sat 23:26:25 |
平日19時に新宿に行けて、なおかつ終わるのが10時を過ぎても平気な人。 「小堺クンのおすましでSHOW17」 新宿シアタープル 8/17(金)〜26(日) 19:00〜 6,300円 土日のチケットは即日完売。堅気の友人は当然行けず天涯孤独。 誰もいなきゃ1人で行くさ。 |
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1805 | Re: 科学者よ 投稿者:A渡辺 01/05/30 Wed 18:25:51 |
サーバのトラブルは終了したようですね。加藤さんの問いかけに誰もレスしないので端くれですが自然科学を職業とするものとしてコメントします。 自然科学というのは極めて臆病な学問で、不確かなものはすべて否定するんですね、そして確かに否定できないものをのみ事実として扱っていくわけです。ですから、データの不足あるいは不備のため否定された中に興味深い現象が隠れている場合も当然あり得ます。その代わり、事実として認められた成果はすべての人が享受することができるわけです。 また、自然科学というのは謙虚な学問でもありますから、従来の常識から反する結果が出ようとも、信頼できる実験であるならば、その結果は事実として扱われます。 1980年代末に物理学の世界に「高温超伝導」ブームが起きました。細かい説明は省きますが、それまでは超伝導状態は極低温でしか現れず、実用には液体ヘリウムが必要とされていました。また、超伝導のしっかりした理論もありました。(BCS理論といいます)、その理論では極低温でしか超伝導状態は起こらないと言うもので、また、この理論によって従来の超伝導体の挙動はよく説明できました。 ところが、スイスの科学者がもっと高い温度で(実用的には液体窒素温度で)超伝導状態になる物質を見いだしました。当然従来の理論では説明できません。そうなると、世界中の学者がこの新しい現象を研究して、どんどん新しい物質を見つけだしていきました。また、その結果従来の理論に変わる新しい理論が構築されています。 科学的常識も、しっかり構築された理論も科学者はあっさりと変えてしまうのです。 >「科学的常識に反するからインチキでデタラメだという恐るべき思考法の >持ち主が科学的権威者なんだ、日本では」(略) ですから、このようなことは決してありません。 > 否定するのが知的で論理的で科学的だとする軽薄な思考には辟易する。 >「否定の立場から検証する」のならわかるが、先に結論ありきでは話にならぬ。 この加藤さんの文章の「否定する」を「肯定する」に直してみると 肯定するのが知的で論理的で科学的だとする軽薄な思考には辟易する。 「肯定の立場から検証する」のならわかるが、先に結論ありきでは話にならぬ。 と、平井和正の文章 >「なぜ科学的常識に反する現象が存在するのか、究明するのが科学者の使 >命でしょう?」 への批判文ができてしまいます。 平井和正はここで「科学的常識に反する現象が存在する」と先に結論ありきで書いていますから。 > インチキでないものを全て錯覚だと言い張る輩も必ずいるのだが、説明 >できないものは全部錯覚ということにしてしまえば何も考えずにすんで楽 >だわな。そうでない可能性も平等に考えてしかるべきではないのか。 この文章にしても、「インチキでないもの」を「不正確な情報」に、「錯覚」を「心霊現象や超常現象」に直してみると、 不正確な情報を全て心霊現象や超常現象だと言い張る輩も必ずいるのだが、説明できないものは全部心霊現象や超常現象ということにしてしまえば何も考えずにすんで楽だわな。そうでない可能性も平等に考えてしかるべきではないのか。 と、先の加藤さんの文章批判ができてしまいます。 別に言葉遊びをしているわけではなくて、加藤さんや平井和正の考え方に難があると言うことです。 「科学者は何でも否定すればいいと思っている」というのはその裏に 「心霊現象や超常現象は存在する」という無条件の肯定を前提にしていることが問題なんです。 残念ながら私には加藤さんは「合った方が面白い」と客観的に見ているようには思えません。そうした一歩離れた立場で考えるのであれば、こうした決めつけ的科学者非難は出ないと思います。 せいぜい、「安易に否定するのは不粋だ」という文章になるでしょうから。 科学者が求めているのは信頼するに足るデータなんです。議論に値するデータもなしに存在だけを主張されても相手にできないのが科学の基本なんです。 研究するに値するデータを示してくれれば科学者はいくらでも研究します。それが心霊現象であることを肯定することかどうかは別問題ですが。 この目で見たから間違いないというのは科学ではダメないんです。 人間の目というのは極めて能力が高いのですが、その一方で簡単に騙されてしまう欠点もあります。「オウム真理教」事件をみれば人間を極限状態においておくと極めて容易に「神秘現象」を体感してしまうことが判ります。客観的なデータが優先するのです。 超常現象で頻繁に出てくるものに「スプーン曲げ」があります。スプーンが人力ではあり得ない捩れ方をするそうです。 これをもしも私が存在を証明するために科学論文に投稿するのであれば最低限以下のデータはそろえます。 1.大きさ・材質の違うスプーンをおのおの最低10個ずつ用意して「スプーン曲げ」実験をする。 曲がりやすい大きさや材質を明らかにする。(木製やプラスチックでも曲がるのか、大きいサラダスプーンでも曲がるのかなど) 2.上記実験で曲がりやすかった大きさ、材質のスプーンについて、最低10回、表面に歪み計・変位計をつけて「スプーン曲げ」実験をする。 スプーンが曲がる時にかかる力の方向と大きさを明らかにする。また、捩れ方の傾向もあきらかにする。 3.磁石化したスプーンで最低10回「スプーン曲げ」を行って周囲の磁場・電場の変位を測定する。 このくらいの実験量とデータをそろえれば科学者は必ず反応します。始めに否定ありきと言うことはあり得ません。ただ、TVカメラで写してはダメだとか、疑いを持つ人間が近くにいてはダメだという低いレベルでクレームをつけるようではこうした実験に協力してくれる「自称」超能力者がいるかどうかが疑問ですが。 |
1806 | 17巻じゃなかった 投稿者:加藤浩司 01/05/31 Thu 00:38:36 |
「こわれた」と評される箇所はどうも18巻らしい。まだ1/3程度しか読んでないが、キリスト教談義はまだまだ続きそうだ。面白いから別に気にならない。 宗教を論じた独立した本として出版するよりも、「幻魔大戦」という小説内で論じた方が確実に多くの人に読まれる。なんて計算が働いていたかどうかは知らないが、物語の性質上、宗教について細々と論じるのは別段不自然なことではないだろう。 > 自然科学というのは極めて臆病な学問で、不確かなものはすべて否定するんです > ね、そして確かに否定できないものをのみ事実として扱っていくわけです。 それは当然だと思います。 渡辺さんのいう「否定」というのは「肯定しない(認めない)」ことであって、ノーと断定することではないのではないでしょうか。それはむしろ「保留」という表現が当たっているように思います。 何かを肯定するには肯定するための材料を要するのと同様、否定するにも否定するための材料を要します。テレビで見掛ける一部の(または多くの)学者には、そうした姿勢が明らかに欠けていると思います。平井和正が批判したのはそういう学者だと思います。 > >「科学的常識に反するからインチキでデタラメだという恐るべき思考法の > >持ち主が科学的権威者なんだ、日本では」(略) > ですから、このようなことは決してありません。 ということは、テレビでそうした論調でものを言っている学者達は決して多数派ではないということでしょうか。そうあってほしいものですが。 私が大学で経済を少しかじった限りでは、自分の属する学派にしがみついて、それに有利な材料ばかり集めるという学者が目に付きましたし(材料すら集めようとしないやつよりはましだが)、ゼミで世話になった教授にその疑問をぶつけてみたところ、「その通りだ」という返事が返って来ました。 > 平井和正はここで「科学的常識に反する現象が存在する」と先に結論ありきで書 > いていますから。 いえ、それはないです。ここに補足を入れるなら、「科学的常識に反する"ように見受けられる"現象が存在する」となるでしょうか。 実際に検証すれば、それは実は従来の常識から外れないと判明するかも知れないし、常識を覆すものと判明するかも知れない。文脈を踏まえて読み取れる平井氏の意図は、両方(特に後者)の可能性を考えようとしない学者への批判です。 > 不正確な情報を全て心霊現象や超常現象だと言い張る輩も必ずいるのだが、説明 > できないものは全部心霊現象や超常現象ということにしてしまえば何も考えずにすんで楽 > だわな。そうでない可能性も平等に考えてしかるべきではないのか。 > 「心霊現象や超常現象は存在する」という無条件の肯定を前提にしていることが > 問題なんです。 いやいや、「言い張る」もなにも私は「存在する」とさえ一度も言っていませんから。 「そうでない可能性も平等に考えてしかるべき」という私の主張が「無条件の肯定」とは全く相容れないものということはおわかりいただけるかと思います。 > この目で見たから間違いないというのは科学ではダメなんです。 平井和正も私もこうは言っていませんので。 > TVカメラで写してはダメだとか、疑い > を持つ人間が近くにいてはダメだという低いレベルでクレームをつけるようではこ > うした実験に協力してくれる「自称」超能力者がいるかどうかが疑問ですが。 清田益章はカメラの前で何度もやっているし、研究所に呼ばれて実験に協力したりもしているようです。どの程度のデータが得られているかはわかりません。 ↓たった今ホームページ見付けました。 http://www.xeneph.com/ |
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1807 | こまごま 投稿者:加藤浩司 01/06/01 Fri 01:43:19 |
1週間前に床屋に行った。ヒゲは5ミリに刈ってくれと頼んだが、どう見ても2ミリ程度しかない。これじゃ無精ヒゲだって。 「経済をかじった」はおかしい。「経済学をかじった」というべきだ。 しかし「かじった」なんて言うとさも勉強したように見えていい。 それから昨夜の投稿の「細々」は「こまごま」と読んでたもれ。 |
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1808 | 自然科学のルール 投稿者:A渡辺 01/06/01 Fri 18:53:46 |
> 渡辺さんのいう「否定」というのは「肯定しない(認めない)」ことであって、ノーと >断定することではないのではないでしょうか。それはむしろ「保留」という表現が当たっているように思います。 > 何かを肯定するには肯定するための材料を要するのと同様、否定するにも否定するため >の材料を要します。 科学技術論文の扱いはルールが異なっています。新しい現象や新しい理論を肯定するためには、最初の段階では肯定するに足るだけの材料を肯定する側がすべて責任をもって材料を提示しなければなりませんが、中立な立場の科学者(論文では審査員)はこの時点ではその材料に不備があったり、論理展開に無理な飛躍があったりすればそれを指摘しさえすればそれで否定したことになるんです。「保留」と言うよりは「否定されてもしかたがない」と言う方が近いでしょう。 通常はここで指摘された点について実験を重ねたり、論理展開を検討し改めて論文として出します。不備があればまたその時点で指摘されます。 この繰り返しをして、実験の過程や結果、そして論理展開におかしい点がなくなった時点で科学的にある程度信頼できるものとして認定され論文となります。 この現象や理論を否定する側はこの時点で否定するに足る材料を出す責任が生じます。 後はお互いに実験データを積み上げて相手の矛盾点を指摘し、自分の主張の精度を上げていきます。この時点になって「保留」や「意見が分かれて結論が出ていないもの」として扱います。 超常現象や心霊現象はこの最初の段階を通過していないんです。ですから、「実験の信頼性が足りない」とか「物理の法則と矛盾する」と指摘さえすれば十分なんです。それだけで「否定されてもしかたがない」ものとして扱われるんです。 まして実験データは不備、そのうえ物理の法則に矛盾すると実験的にも理論的にも信頼の置き所がない話ですからね。 存在を主張する側が存在を主張するための客観的な実験の積み上げれば科学的なやりとりとして成立するのですが、存在を主張する側はここで逃げている。 非難されるべきは科学的なやりとりは逃げておいて存在だけを主張するやり方なんです。科学的なやりとりといっても難しい物理学の理論を振り回せと言っているんじゃないんです。理論的裏付けはまだできないが確かに現象は存在すると認めさせる結果を示せと言っているんです。後は物理学者の仕事です。 >テレビで見掛ける一部の(または多くの)学者には、そうした姿勢が明らかに欠けてい >ると思います。平井和正が批判したのはそういう学者だと思います。 (中略) > ということは、テレビでそうした論調でものを言っている学者達は決して多数派ではな >いということでしょうか。そうあってほしいものですが。 テレビに出てまで否定するという点では少数派でしょうが、大多数はテレビでコメントすることすら断るでしょうね。テレビ番組は結局はTVショーですから、純然たる科学技術の議論は無理です。道理を尽くして説明する時間もくれないし(そんなことをやったら一般視聴者はつまらないから見ないでしょう)、結論は曖昧にするに決まっていますから(超常現象を否定するならはじめから番組にしない)。 慎重な人なら「データが少なくて判断できない」と言うでしょうね。ただ肯定的なニュアンスに取られるのは困るからTVは断るでしょう。 > 私が大学で経済を少しかじった限りでは、自分の属する学派にしがみついて、それに有 >利な材料ばかり集めるという学者が目に付きましたし(材料すら集めようとしないやつよ >りはましだが)、ゼミで世話になった教授にその疑問をぶつけてみたところ、「その通り >だ」という返事が返って来ました。 自然科学でもこれは同じです。ただ、自然科学は実験結果がすべてに優先するんです。自分の主張を裏付けようと実験を繰り返し、精度を上げたら逆の結果が出てしまったということもままあるんです。 たとえ大槻教授でも私が前回書いたような実験をして、それだけの結果を突きつければそうは安易に現象は否定しません。科学者は信頼できるデータには謙虚ですから。 繰り返しますが、おかしな行動や思考をしているのは科学者ではなくて、超常現象があると主張する人たちです。25年前のユリ・ゲラーのスプーン曲げブーム以来何ら進歩がない、主張を裏付ける努力が全くない。 >> 平井和正はここで「科学的常識に反する現象が存在する」と先に結論ありきで書 >> いていますから。 > いえ、それはないです。ここに補足を入れるなら、「科学的常識に反する"ように見受 >けられる"現象が存在する」となるでしょうか。 > 実際に検証すれば、それは実は従来の常識から外れないと判明するかも知れないし、常 >識を覆すものと判明するかも知れない。文脈を踏まえて読み取れる平井氏の意図は、両方 >(特に後者)の可能性を考えようとしない学者への批判です。 平井和正が本当はどう考えているかは知りませんが「作家=平井和正」が作品中で主張しているのは違うでしょう。 作中に"ように見える"などと書いたら読者へのアピールが弱まるだけです。確信犯としての断言でしょう。(SF作家の立場としては当然のことで非難されることではないと思います) |
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1809 | 超能力者のHP 投稿者:A渡辺 01/06/01 Fri 18:58:58 |
> 清田益章はカメラの前で何度もやっているし、研究所に呼ばれて実験に協力 >したりもしているようです。どの程度のデータが得られているかはわかりません。 清田益章のHPは見ました。自然科学の立場で言うと不合格ですね。 「科学的な研究」というコーナーを開くと防衛医大で科学的に実験した写真なるものが載っていますが、この時に曲がったというスプーンの写真はなぜか載っていない。これでは実験として信頼されません。別のコーナーでは自慢げに複雑に捩れたスプーン、折れたパター、曲がったヤスリの写真を載せているのにここだけ肝心な写真がない。 これを見る限り「カメラの前や人が見ていると曲げられない」と疑わざるを得ない。大きく捩れてなくても、明らかに曲がったのなら堂々と写真を載せられるはずです。 これだから科学者に相手にされないんです。 先の書き込みで私なら「少なくとも10回」実験すると書きました。 人間のやることですから器具を付けてスプーンを曲げさせられて毎回必ず不自然な捩れ方をすることなどは期待できません。ですから10回もやれば2,3回はそれなりに大きく捩れるのではないかと想定しているわけです。(勿論、10回以上必要でも構いません) とにかく人前で、できれば医学系よりは物理学系の学者・研究者の前で何回かに1回は必ず大きく捩れる。(1回だけではダメです。何回かあるいは何十回に1回は必ず曲がらないと実験の正確さが疑われます。) そうした結果を出さない限り科学的には何ら意味がない。 また、大学や研究機関から彼にアプローチすることは考えにくいですね。HPであの防衛医大の写真を見てしまったら研究テーマとして食指は動かないでしょう。 清田益章によるものかどうかは知りませんが私の職場にも捩れたスプーンが持ち込まれたことはあります。担当者の話を聞いたところ「電子顕微鏡で捩れた金属部分を観ても外部から力を加えて捩ったものと違いはなかった」そうです。 念のため加えますがこれ自体は超常現象を否定する結果ではありませんが、科学技術の基本から言えば「積極的に肯定する結果が出ない=否定されてもしかたがない」です。 私は現代科学ですべての現象が説明できるとは考えてませんし、心霊現象であれ、超常現象であれ、それを否定する気はありません。 けれども、小説上ではなくて現実社会の中で存在を主張するのであればそれなりの手続きを踏まないと評価はできないし、そうした手続きを踏まないで存在だけを声高に主張する人たちは信用しません。 |
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1810 | スプーン曲げ 投稿者:相馬契太 01/06/02 Sat 00:19:10 |
単純に、手で曲げられるものを超能力で曲げたからなんなんだ、 それなら手で曲げりゃあいいじゃないか、と思ってしまいます。 機械でできることなら機械でやればいいし、車より早く遠距離に移動できないなら意味ないじゃん、とか。 "超"能力なんだから、人間のできることを"超えて"ないと、そもそも存在意義がないだろうと思いません? 低能力じゃん、なんて。 |
1811 | 単純に面白い 投稿者:加藤浩司 01/06/02 Sat 00:34:59 |
>
その材料に不備があったり、論理展開に無理な飛躍があったりすれば > それを指摘しさえすればそれで否定したことになるんです。 これはわかります。つまり「その説は認められない」という否定ですね。私のいう「保留」はそんな風な意味ですから異論はありません。 「右」という説があったとして、そのデータが不完全で「否定」される。これは当たり前だと思います。でもテレビに出ている一部の科学者はそこで「左」という結論を降してしまう。 > 作中に"ように見える"などと書いたら読者へのアピール > が弱まるだけです。確信犯としての断言でしょう。 少なくとも私の解釈は「超能力は存在する。それを証明するのが科学者の役目だ」というものではないですね。万一そうだとしたら私は平井氏に同意しません。 清田氏のホームページには私もガッカリしました。 彼自身は学者ではないから仕方ないとしても、学者の側がデータを発表したりしないのはなぜなんでしょう。別に「肯定」するための材料が揃ってなくても、まるっきり無価値ということはないと思うんですけど。それとも無価値なんでしょうか。 > 単純に、手で曲げられるものを超能力で曲げたからなんなんだ、 > それなら手で曲げりゃあいいじゃないか、と思ってしまいます。 オウム騒ぎの頃、朝日新聞にも似たようなことが書いてあったけど、そんなこと言ったらマラソンなんてどうなるんすか。車使えよ、とか。 だからなんなんだと言われても、単純に面白いと思う。 超常現象の関係でまともなサイトはないものかと探してみたが、こんな調子。肯定派も否定派もヒステリックでいかん↓。 http://www.geocities.co.jp/Technopolis/3094/ |
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1812 | 面白いといえば 投稿者:相馬契太 01/06/02 Sat 09:20:57 |
なぜスプーンを曲げるのか、箸を折るんじゃダメなのか、鉄棒くらい曲げられないのか、手品でも自由の女神くらい消すんだぜというところに気が行く。 | |
1813 | スプーン曲げ選手権 投稿者:加藤浩司 01/06/03 Sun 00:21:26 |
7月27日は日本武道館でプロレス興行がある。と、カレンダーを見るとこの日の枠に何やら書き込んである。なんだこれ? 「マ」と読めるがマドレデウスは6月だしマゼールは9月。ヨーヨー・マが来日するという話は聞かない。気になる。気になるぞ。 どこかのテレビ局が「スプーン曲げ選手権」なんてやらんかな。1分間でたくさん曲げた人の勝ち。優勝者には巨大スプーンが贈られる。参加者が10人も集まればかなり異様な番組になるだろう。 >なぜスプーンを曲げるのか、箸を折るんじゃダメなのか、 結構色んなもの曲げてるようです。 http://www.xeneph.com/pho2.htm 実際問題、目の前でスプーン曲げられて「だからなんだ」と思う人なんているのだろうか。凄いと思わないのかな。 私はむしろ手品に対して「だからなんだ」と思っている。だってタネがあるんでしょ、なんて言ったら手品好きの人に笑われそうだが、笑点の前座とか全然面白いと思わないし、引田天功やカッパーフィールドにもおよそ興味がわかない。 そうだ、笑点に清田氏を呼ぶといい。私にはそっちの方が面白い。 結局「騙された悔しさ」と「信じてもらえない悔しさ」を天秤に掛けると、疑われている人の肩を持ちたくなってしまう。情でもって結論に飛躍したりはしないけど。 お、清田氏のエッセイに興味深い記述。 <元防衛大学の大谷先生や元電気通信大学の佐々木先生、元松下技術研究所の志賀一雅先生など本心で研究したい人は、5年も10年も地道に実験をやってきたわけです。周りからの風当たりが強くなっていてもですよ。「証明しなさい。」という人に限って、実験も、その手続きもしないんです。> ということは実験データはあるということか。それも10年分の。ネットで公開しないのかな。 |
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1814 | 幾つかRES 投稿者:A渡辺 01/06/03 Sun 12:56:40 |
相馬さん >単純に、手で曲げられるものを超能力で曲げたからなんなんだ、 >それなら手で曲げりゃあいいじゃないか、と思ってしまいます。 手を触れているだけでスプーンが曲げられる程度の力が加えられたら何ができるか想像してみると面白いですよ。(学問的意義は別にして) 例えば、鍵穴の上から手を触れると鍵が開けられる。−鍵不要というか鍵が無価値になってしまうから今のsecurity systemは崩壊でしょう。 パチンコ玉たスロットマシンの数字がガラスに手を触れただけでいじれる。なんてのも面白いかもしれない。 加藤さん >別に「肯定」するための材料が揃っ >てなくても、まるっきり無価値ということはないと思うんですけど。それ >とも無価値なんでしょうか。 「そこに確実に新しい現象がある」というデータがでないと現状では無価値でしょう。 「新しい現象である」ことが認知されれば「超常現象である」「従来の物理学で説明つく」のいずれも結果でもそれなりの価値はあります。 相馬さん >なぜスプーンを曲げるのか、箸を折るんじゃダメなのか、 >鉄棒くらい曲げられないのか、手品でも自由の女神くらい >消すんだぜというところに気が行く。 原理が分からないと説明つかない話ですが、外からの力やエネルギーがどう働くかは素材によって異なってもおかしくはありません。 変なたとえですが、強力な磁石を使えば金属製のスプーンは引き寄せられるでしょうが割り箸は引き寄せられません。また、電子レンジで加熱すれば割り箸は加熱できますが金属製のスプーンは加熱できません。 また、物理学の基本になりますが、無から有は作れないんです。1の力しか無ければそれは10や100に大きくできません。1の力を有効に使うか、他から貰ってきて大きくするかしか手はありません。 また、力の限界ですが、所詮一人人間のできる程度のエネルギーを取り出すのだから、念力と言ってもスプーン曲げがせいぜいいでも不思議はありません。 "自称超能力者"の何でもできるという「大本営発表的」プロパガンダに問題があると思っています。 学問の俎上に乗せるのに最低限必要なのは「何ができて」「何ができない」を分けることです。 加藤さん > お、清田氏のエッセイに興味深い記述。 ><元防衛大学の大谷先生や元電気通信大学の佐々木先生、元松下技術研究 >所の志賀一雅先生など本心で研究したい人は、5年も10年も地道に実験をや >ってきたわけです。周りからの風当たりが強くなっていてもですよ。 >「証明しなさい。」という人に限って、実験も、その手続きもしないんです。> 名前の挙がっている人がすべて「元」がついているということは、地道な実験を現在はやれる環境にない人たちだということです。 私が先に書き込んだ実験ならば週に1日協力して貰ったとして10回程度、2−3ヶ月で先が見通せます。5−10年かかる仕事じゃない。 >「証明しなさい。」という人に限って、実験も、その手続きもしないんです。 彼に本当に親身になってくれる自然科学の専門家がいればこうした発言は出ないでしょうね。前に書いたように自然科学の基本ルールですから。 |
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1815 | 初めまして 投稿者:真理子・Y 01/06/03 Sun 17:32:31 |
こんにちわ.ここには,初めてカキコします. 私は,中一の,女子です.灰谷文学が,好きです 良かったら、仲間に入れてください. お願いします. |
1816 | もっと伝えて 投稿者:Joaquim 01/06/03 Sun 22:46:41 |
真理子・Y さん。ようこそ。 私は灰谷の天敵です。(冗談のつもりです) 中1にしてカキコ、偉い! どうか恐れず書いて下さい。 わたしは、ただの中年おじさんですが、加藤浩司さんは、まともな人です。 どうかよろしく。 (わたしは、忙しいのよ、今) |
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1817 | シコ名は「鬼夜蔑太郎」 投稿者:出羽桜親方 01/06/04 Mon 00:20:04 |
>「マ」と読めるがマドレデウスは6月だしマゼールは9月。ヨーヨー・マ >が来日するという話は聞かない。気になる。気になるぞ。 マゲを結う日に違いない。 |
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1818 | 単純な好奇心 投稿者:加藤浩司 01/06/04 Mon 01:03:32 |
>
「そこに確実に新しい現象がある」というデータがでないと現状では無価値でしょう。 やっぱりそういうものですか。 単純な好奇心としてなら、どんな実験をしてどんなデータが得られたかというのは知りたいですけどね。「結局よくわかりませんでした」でもいいから。 > 私が先に書き込んだ実験ならば週に1日協力して貰ったとして10回程度、 > 2−3ヶ月で先が見通せます。5−10年かかる仕事じゃない。 5年10年研究をしていて、それでまとまった論文の類が発表されていないというのは、素人の私も不自然に感じます。やっぱ具体的に何をやってどんな結果が出たのか(出なかったのか)くらいは知りたいです。 例の大槻教授も清田氏のスプーン曲げの調査を一時期やっていたようだけど、あれは一体どうなってしまったのだろう。 と気になり出して検索したら、こんなのがありました。大槻教授の著書『神々のトリック』のデタラメさを批判したサイト。 http://bosei.cc.u-tokai.ac.jp/~haruta/ootuki.html くり返し言いますが、人体は単なる物質にすぎません。だから、人間が死んだあと、それを構成していた原子、分子は、そのまま地球全体に拡散つまり散らばって行くだけです。 (中略) 人が死んだあと、それを構成している原子、分子が世界中にどんどん拡散していくのもエントロピー増大の法則です。いったん拡散した原子、分子が、その後再びどこかで集合するなどということは、決してありません。 すなわち、「生れ変わり」などということはないし、「前世」などないのです。死んだらそれでおしまい。ただそれっきりです。つまり、物質界には、霊などないわけです。 (以上引用の引用) 平井和正のいう「恐るべき思考」というのはコレだと私は思っています。輪廻説への反論として成り立っていないのは一目瞭然で、このサイトの著者(輪廻には否定的)も「著者の論理はまったく不適切です」と一刀両断。 |
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1819 | ようこそ 投稿者:加藤浩司 01/06/04 Mon 01:22:14 |
真理子・Yさん、いらっしゃいませ。怪しげなオヤジや親方のことは気にせず灰谷文学をおおいに語って下さい。 灰谷健次郎にのめり込んだきっかけはどの作品でしょう。私は「太陽の子」でイカレた口です。「わたしの出会った子どもたち」をはじめとするエッセイ集も忘れ難い。 「うまい」作家は数多かれど、灰谷氏のような圧倒的なパワーを持った作家はそうはいません。 |
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1820 | 文章が乱暴でへたなだけでは? 投稿者:A渡辺 01/06/04 Mon 18:05:01 |
加藤さんご指摘のサイトは読みました。 大槻教授の文章がかなり雑で乱暴なのは分かりますが科学的な間違いはあまりない様ですね。批判氏(春田氏:東海大)の挙げる科学的に不正確な4例のうち3例は科学的には正しいことを言っています。1例は大槻・春田両氏ともおかしい。 1.加藤さんの引用した例は大槻教授の説明不足(文章が雑)なだけで論理のすり替えはありません。 春田氏は人間を肉体的OSとデータファイルにわけて、「生まれ変わり」はデータファイルだけ転送すればよいと表現していますが、これが間違い。 データを保持するには「物質」があって、その物質が特定の「状態」であることが必要になります。例えばハードディスクやビデオテープは容易に磁石化しやすい「物質」があって、それが磁石としての方向を同じにした「状態」になることによって記憶媒体として使えます。脳の中でも同じことです。脳細胞があって、そのごく1部分の状態の変化で記憶という作業が成り立っているはずです。 「生まれ変わり」を人が死んで、記憶だけが保持され、その記憶が他人に転送されると3段階に考えれば、中間段階が生体の反応ではないのでエントロピー増大の法則が適用できることになります。 ですから、「記憶が保持されるためには物質があって特定の状態が保持されなければならないが外部から保持のためのエネルギーが加えられない以上、それはバラバラになって再構成はされません。」の説明で良いと言うことです。 「生まれ変わり」のどこを本筋だと考えるかで説明がことなるけれど、「記憶だけが時空間を越えて保存される」ことを本筋だと考えれば大槻教授の論旨で問題はないでしょう。不適切と非難されるほどのものではない。 ただ、こうした説明は大槻教授、批判氏、私の3人とも「だれも主張していないことを仮定して、それを否定してみても、仕方がないんじゃないか」の批判を受ける範疇ですけれど。 2.「蛇になる杖」より 批判氏>「ある無生物から他の無生物への転換」は「つまりは原子核の換変」には繋がりません。 批判のための批判ですね。「ある無生物から他の無生物への転換」の中の1形態として「原子核の換変」は存在していますし、大槻教授の専門が素粒子物理であることを考えれば身近に浮かんだ連想を安易に書いただけでしょう。基本的に大槻教授の文章が下手なだけ。 ただ、科学的には「無生物から生物への転換」よりも「原子核の換変」のほうが容易ですから、例の使い方としては間違っていません。 3.「川の水が血に変わった」 批判氏>「血液の原子核」と言うでたらめな表現 これも批判のための批判ですね。大槻教授の文章が下手なだけ。これも水(H2O)の原子核という乱暴な表現を受けてですからこんなものでしょう。 ここを私が書くとすれば「水はHとOの2種類の元素で構成されていますが、血液は有機分子ですから主成分のC、それに赤い血の色の元であるFe等が必要ですが、水には構成元素として含まれません。他からCやFeの元素を持ってくることができないとなると、核分裂と核融合によってHとOからCやFeや他の血液中の微量元素を作り出すしかありませんがそんなことは決してできません。」(元の文章は省略) となります。少しは読みやすくなったでしょうか? 表現はともかく内容は変えていません。 4.イスラエルのエリヤの「奇跡」について 大槻教授・批判氏二人とも間違い。 2000年前の気候を議論するのに現在の気象データを出してどうする。 古代文明の発達した地域、ギリシャ・イスラエル・中東はいずれも今よりも雨が多く降り樹木も多く土地が肥沃だったことは常識ではないのでしょうか。 私には「恐るべき思考法」とまでは考えられません。たぶん大槻教授はTVに出過ぎてこの超常現象批判の議論が乱暴になりすぎたのでしょう。TVでは論理的で丁寧な説明よりも一刀両断的な言い方が印象強く残りますから。 彼は監修者になって判りやすい文章の書ける科学ライターに執筆させた方がいいですね。東大卒、理学博士、早稲田大学教授の肩書きが泣いている。 |
1821 | 前提が違う 投稿者:加藤浩司 01/06/04 Mon 23:52:26 |
>加藤さんの引用した例は大槻教授の説明不足(文章が雑)なだけで論理のすり替えはありません。 大槻氏の論法は「物質と別次元の精神世界の存在ゆえ輪廻がある」という主張に対し、物質的見地から反論するというもの。 「人体は単なる物質にすぎません」という前提(科学的常識)を持ち出すこと自体が的外れだと思いますけど。前提への認識がそもそも食い違ってるわけですから、反駁するにはまず前提の食い違いを埋めるのが先決では。 2以降はムズカシイのでパスさせて下さい。 |
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1822 | ムキになることに最大の疑問 投稿者:A渡辺 01/06/05 Tue 07:14:21 |
>2以降はムズカシイのでパスさせて下さい。 済みませんでした、以後気をつけます。 大槻教授のスタンスでもっとも気がかりなのは「水が血になった」とか「杖が蛇になった」というレベルの話を自称「科学的」に否定することで科学者が偏狭に見られないかということです。「超常現象を現代科学の視点で否定する」のとは違いますから。 もう一つは「科学は万能だ」という誤解を振りまくことです。 脳機能研究がいくら進歩しようと精神世界は永遠に分かりません。 遺伝子情報が今の流行りですが、人間の遺伝子の数と比較的下等な動物の遺伝子の数がほとんど変わらないくらいですから、遺伝子をいくら解析しても人間と猿の違いも分からないのが本当のところなんです。 科学万能の風潮は絶対間違いなんですが。 |
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1823 | 大槻氏こそ救世主 投稿者:加藤浩司 01/06/05 Tue 23:02:35 |
>>2以降はムズカシイのでパスさせて下さい。 > 済みませんでした、以後気をつけます。 滅相もない。話題を振っておきながら、実はあのページ全部は読んでないんです。こちらこそ面目ないです。 1の話の続きなんですが、輪廻肯定派達も、大槻氏の「物質の法則がこうだから」という言い分については、そういうものだろうという認識はあると思うんです(知識は正確じゃないにせよ)。 結局<肯定派>の主張の基幹は「科学では決して証明できない何かがある」という、はなから科学的な反論の届かない領域にあるもの。 科学的な反論が効果をなさないのは当然だと思うんです。 つまり、肯定派にとって大槻氏の説明は「輪廻の科学的証明はできない」ことを示しているのに過ぎず、「そんなことわかってるよ」なのだと。 > もう一つは「科学は万能だ」という誤解を振りまくことです。 大槻氏は「人が真実を知る道具は科学しかない」とか言ってました。「宗教は人間の無知の産物であり、科学が進歩すれば滅びる」とも。 科学万能説がいかに品性を欠いた人間を作り上げるか、大槻氏は身をもって世間に示してくれています。もしかしたら彼こそ現代の救世主なのかも知れません。 |
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1824 | 投稿者:真理子・Y 01/06/06 Wed 19:05:38 |
加藤浩二さん.joapuimさん. お目にかかれて光栄です. あぁ,ここで,カキコしているなんて,夢のようです. 実は,憧れていたんです.ここに,カキコすることを. あぁ,本当に嬉しい. こんなガキの,わたしですが,これから,よろしくお願いします. あの,難しい話に,私,入れるかな. |
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1825 | 高給取り 投稿者:加藤浩司 01/06/07 Thu 13:38:27 |
ここは灰谷健次郎の話題の投稿が少ないので、それが増えてくれればとても嬉しいです。 今読んでいるのもなぜか「幻魔大戦」。ようやく18巻読了。あと2冊。の割には話の流れがいまだ緩やかだ。 時給が上がってご機嫌だ。 900円増を要求したら30円上げてくれた。次は9000円増を要求してみよう。 |
1826 | 何度目かの挑戦 投稿者:相馬契太 01/06/08 Fri 10:31:35 |
灰谷健次郎についてちっとも話をしないのはあんまりだという気がして、彼の本に手を伸ばした。『私の出会った子どもたち』(新潮文庫)。 どうもエッセイのようだね。しかも青春エッセイだ。 あちこちから不当な扱いを受けた、差別されたと息巻く割りには、自分もかなりムチャな二分法で周りの人をふるいにかけていく。 しかも、固定概念に侵されまくり。大丈夫か、青年灰谷。 まだ読み始めだが、不安が募る。 しかし、そういう極端な見方は小説に力を与えることもある。 そういう意味じゃ、悪いことばかりじゃないのかもしれない。 「力強い小説」「(粗はあっても)強い感動を受ける」という評価も、「現実と違いすぎる」「人間像が単純」という評価も、灰谷健次郎の極端な世界観にあるのだな。 信じたいもの、気に入ったもの以外はけっこうほったらかしだしな。 もちろん、それでいい小説が書けるならいいんじゃないか。 『兎の眼』は感動したし俺も。 ただ、好きか嫌いかといわれると、あんまり好きじゃないかな。 これより他のエッセイは読まないようにしようと思いました。 今の段階で、ということだけどね。 |
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1827 | 私は大好き 投稿者:真理子・Y 01/06/08 Fri 15:55:12 |
私は、灰谷サンの本は大好きです.(^−^)/ 砂場の少年なんか,私の思想とぴったりです. えっと,私のであった子供達だったかな? 青山けんじくんの,ことが書いてある本は. サンダルの話は,もう泣いちゃいました. おかあちゃんに買ってもらったサンダルが落ちタァ.だれも,僕のサンダルを拾ってくれなかったァ.っというような,所.何かが,胸にささりました. でも,灰谷さんのエッセイは,なんか,同じ内容ばかり書いてあるような気がします.うぅんと,灰谷さんのエッセイで,一番良いと思ったのは,命の小さな声を聞けかな?水上勉さんと,一緒に書いてある本.天の瞳の最新刊出たかな? |
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1828 | よりによって 投稿者:加藤浩司 01/06/09 Sat 00:36:07 |
なにも相馬さんもこっちが生涯最高のコンサートの余韻に浸っている時に灰谷ネタに乗り始めなくても。うるせえなあ、まったく。 「わたしの出会った子どもたち」は二十歳前後の頃に殆ど震えながら読んだ記憶が。内容は忘れた。 カレンダーの「マ」の意味が判明。 BSマンガ夜話の公開録画があるそうだ。悪いな、この日はプロレスを観に行く。 |
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1829 | じゃあいいよ 投稿者:相馬契太 01/06/09 Sat 00:47:49 |
なんだよ。もういいよ。失敬だな。 子どものね、詩はいいんだよ。詩はさ。 |
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1830 | せめて 投稿者:加藤浩司 01/06/09 Sat 01:41:31 |
もう1日早ければなんでもなかったのに。 たまには理不尽な八つ当たりもよかろう。 |
1831 | 投稿者:真理子・Y 01/06/10 Sun 13:22:21 |
私,何か、いけないことを言っちゃったのかな? ごめんなさい. |
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1832 | ああ、そんな 投稿者:相馬契太 01/06/10 Sun 19:03:31 |
いえ、そんなことはないです。 もうこれはネタみたいなもので、そんな気にすることでは。多分。 |
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1833 | いや、そんな 投稿者:加藤浩司 01/06/10 Sun 23:06:44 |
何もないです。真理子さんが謝る必要はありません。 ちなみに相馬さんも普通に書いただけなのにこっちが勝手に怒るというオハナシでして、失敬といえばまるっきりその通りで、さりとて知っててやって謝るのもまた失敬だったりで、結局どっちに転んでも失敬なのは私で、だったら謝ることもなかろう、わっはっはということです。 コンサートの余韻でまだ脳が回復してないので灰谷ネタは後日。 |
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1834 | 投稿者:真理子・Y 01/06/11 Mon 09:01:11 |
よかった.これからも,よろしくお願いします | |
1835 | 気を取り直して 投稿者:相馬契太 01/06/11 Mon 10:22:13 |
いえいえ。こちらこそよろしくお願いします>真理子さん さて、気を取り直してもう少し詳しく書こうかな。 『わたしの出会った子どもたち』の中で、前にも書いたけど子どもの詩はいい。『せんせいけらいになれ』と収録作品はほとんど同じだけれど、別に気にならないし。 灰谷健次郎が出会った人たちのエピソードもいい。 灰谷健次郎自身の経験も悪くない。 でも、自省・自戒の部分がチョロイ。上っ面な感じがします。 確かに、自分を責める文章というのは往々にして他人が見る分には陳腐な表現と取られやすいものだけれど、それにしても妙に気になる。 なぜだろうと考えてみました。 基本的にこの本の構成は、 1.灰谷健次郎がそうとは気づかずに誰かを傷つける、 もしくは他人の優しさが見えないでいる。 2.過酷な運命にも耐えている人に出会う。 3.子どもの詩に心打たれる。 4.2と3に通じるものを見つけ、1の自分を見直し反省。 の繰り返しになっているのですが、こういう形で子どもの詩を使うのはずるいんじゃないかという気がするんですね。 自己批判をするのに子どもをダシにしてるというか。 自分のダメさを子どもを持ち上げることで肯定してるというか。 『せんせいけらいになれ』はチューインガム一個の話を除いて自分に引き寄せて反省するということはなかったので、そういう感じはなかったのですが。 ここからは俺の中での想像で、実際はどうかはわかりません。 この本を読む限り、灰谷氏は子どもには愛情を注ぐようですが、あまり女性には感心がなさそうです。 本から受ける印象では、奥さんを殴るタイプに灰谷氏はよく似ています(このことで、灰谷ファンだった友人に訊いてみたら、そういう事件を起こしたことがあった気がすると言っていたが、それはどうなんでしょうか)。 ま、奥さんや恋人を殴ったとしましょう。 やっぱり子どもの詩に心打たれて、「ああ、私はなんてダメなんだ。それに比べて子どもは本当に素晴らしい」で終わり。 なにをしてもそうなるんじゃないかと思ってしまいます。 それは反省なのかな。 もちろん、これは(かなり失礼な)想像なのですが、そうなってもおかしくない印象をこの本から受けました。 小説ではそういう感じは受けません。 『せんせいけらいになれ』も面白かった。 だから、この本だけが特別なんじゃないかとは思うのですが、とにかく性にあわない本でした。 |
1836 | 投稿者:真理子・Y 01/06/11 Mon 16:51:40 |
みなさん.私のこと呼び捨てにしてください. なにしろ,中学一年生なんですから.ここにきてみて,本って,ただ読むだけじゃないんだな.と,感心しました. ただ,納得して,良い本だ.と、思うのではなく,ここは,少しおかしいのではないか?とか,ここは,良い.とか.深く深く追求する事が,本の本当の読み方なんですね.私のであった子供達.は,図書館で借りて,読んだのでまた、そう言う風に,深く追求しながら,読んでみようと思います. 本当にみなさん,すごい人ばかりですね. |
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1837 | メビウスの輪 投稿者:加藤浩司 01/06/12 Tue 00:08:05 |
かつて好きだったという灰谷文学を必要以上(に思えた)にクソミソに言う人をネット上で見たことがある。これを「反動」というのだろう。 かく言う私も最近は灰谷文学を語ろうとすると批判的な言葉ばかり出て来てしまう。そのくせ誰かが灰谷文学を批判すると、たとえ自分と同意見であってもいい気分がしないのだからおかしな話だ。 もし私が灰谷文学に今出会ったなら、好きになっていないのではないかと思う。思想を直截に、しかも重く語るタイプの物語はもともと好みではないし、また灰谷氏のものの捉え方には深さと偏りが同居しており、無条件に支持できるものではないからだ。 「灰谷健次郎はいいよ」と素直に言えない自分がいる。 しかしその一方で、灰谷文学は今の自分を形作る過程で最も重要な要素のひとつだったのもまた疑いようがない。私にとっての灰谷批判は、自分の立っている踏み台を解体するようなものだ。 灰谷文学に傾倒していなければ、「灰谷文学を批判する自分」はあり得なかった。言い換えれば、灰谷文学によって養われた批評眼でもって今灰谷文学を批判している。ような気がする。 だから私は灰谷文学の孕む問題にどれだけ気付いても、「あんなものにのめり込んでいたのか」とかつての自分を嘲笑することはできない。それのできる人は結局「その程度」にしか作品に関わっていなかったのだろう。 のめり込んだ著作ほど、再読をためらってしまう。「太陽の子」などは約10年前に1度読んでそれっきりだ。 さあこのメビウスの輪のごとき関係をどう消化するか。消化されるまでは理不尽キャラで行こう。だが計算して理不尽になるのは筋道通してものを言うより数段難しい。さりとて天然の理不尽キャラは滅法恥ずかしい。どうしよう。 >みなさん.私のこと呼び捨てにしてください. いや、呼び捨てはちょっと。でも相馬さんのことは呼び捨てにしていいです。彼は小学生ですから。 そうですね、「読みました、感動しました、泣きました」ではその場限りのものになってしまう。それは灰谷氏もエッセイの中で言っていますね。 ただ、それを気にするあまり「この物語のメッセージは?」なんてことを必要以上に意識してしまうと、却って作品の本質を捉えられなくなってしまうから困りものです。 そうすると逆に、いい意味で「漫然と読む」ことも必要なんだとも思えるんですね。 「シャーロック・ホームズ」の伝えるメッセージをご存知でしょうか。「悪いことをすると警察に捕まるぞ」です。これは星新一のジョーク。 >本当にみなさん,すごい人ばかりですね. 相馬さんは別の意味でも凄いです。 ええと、灰谷氏は2度結婚して2度離婚してます。奥さんに自殺未遂をされたこともあるとか。 灰谷氏の女性観はよく批判の対象にされとりますが、具体的な記述がちょっと思い出せない。 |
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1838 | Re: メビウスの輪 投稿者:相馬契太 01/06/12 Tue 14:20:42 |
>そうですね、「読みました、感動しました、泣きました」ではその場限りの >ものになってしまう。それは灰谷氏もエッセイの中で言っていますね。 >ただ、それを気にするあまり「この物語のメッセージは?」なんてことを >必要以上に意識してしまうと、却って作品の本質を捉えられなくなって >しまうから困りものです。 >そうすると逆に、いい意味で「漫然と読む」ことも必要なんだとも >思えるんですね。 現代文学の常識では「作品のテーマは読者が決める」らしいですよ。 筒井康隆が言ってましたが。その場合「誤読でもかまわない」らしいし。 気に入らない理由はけっこう一生懸命考えるけど、気に入った場合はあんまり考えないかもしれないな。 >「シャーロック・ホームズ」の伝えるメッセージをご存知でしょうか。 >「悪いことをすると警察に捕まるぞ」です。 ああ、そうだったのか。俺はずっと 「殺人は計画的に」 だと思ってました。なんだ、違ってたのか。 灰谷健次郎の次の作品に行こうかどうしようか迷い中。 小浜逸郎という人の『学校の現象学のために』という変なタイトルの本に、灰谷健次郎と林ナントカの教育観についての批判が出ていますよ。 http://members.tripod.co.jp/skeita/ |
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1839 | 「幻魔大戦」全20巻読了 投稿者:加藤浩司 01/06/12 Tue 23:30:23 |
結局これといったうねりのないまま終わる。(第一期幻魔大戦完結)って、おい。「真幻魔大戦」は別物というし、「新幻魔大戦」は時代物。続編はあるのか。「ハルマゲドン」というのがそうかな。 漫画版については「袋小路にはいりこみ、可能性をもたない」とのこと。 とりあえず続きは気になるが、もうすぐ今江祥智の新刊が出るから後回しにしよう。 > 「殺人は計画的に」 > だと思ってました。なんだ、違ってたのか。 誤読でも構わないそうです。 |
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1840 | これは面白かった 投稿者:相馬契太 01/06/13 Wed 00:15:31 |
灰谷健次郎『灰谷健次郎の保育園日記』を読む。 これは面白い。面白いじゃないか。 一歩引いて余裕があるのと、全体の調子が明るいのがいい。 「真の明るさは悲惨な過去を持ってる者から生まれる」という灰谷健次郎の持論の正しさは知らないが、この本の明るさは気持ちがいい。 よし、他の本にも挑戦だ。 |
1841 | 投稿者:真理子・Y 01/06/13 Wed 08:05:15 |
灰谷さんの本って奥がものすごく,ふかいんですね. えっと.今は学校へ行く前なので長々しくは,書けないのですが,灰谷さんの物語,小説は、とてもいいと,私は思います. あ.登校時間がせまってきてしまいました. なぜいいのかは,また,後で, |
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1842 | 灰谷健次郎の女性観 投稿者:相馬契太 01/06/13 Wed 11:07:57 |
とタイトルするほどご大層なものではないのですが。 『わたしが出会った子どもたち』の中で一番引っかかった部分を。 灰谷健次郎が定時制高校に通っていたころのエピソードです。 (以下引用) 同じころ、同級生だったMと恋愛関係を持つようになっていた。 睡眠薬中毒にかかって、その女性をさんざん苦しめる。 飲食店で暴れ、Mがぼくをなだめて、僕を海に連れ出す。ふと 目覚めると、Mの顔がある。午前三時という時刻なのだ―そうい うことがたびたびあった。 (以上引用) まず、こんな関係を「恋愛関係」と呼ぶことに違和感がある。 恐らく、金銭的な面でもMさんに相当よっかかっていただろうと想像されるが、そういう関係は例えば"ヒモ"などと呼ぶので、「恋愛」ではない。 だって、利用してるだけなんだから。金と性欲のために。 しかし、灰谷氏は一見反省してる振りをしながらもこの関係を「青春とはそういうものと言ってしまえばそれまでだが」と開き直り、そこから思考は自殺した兄の青春と比べることに移行して、結局Mさんに思いを馳せるには到らない。 悪いと思ってないだろ、お前。 灰谷氏は、例えばおかまのタっちゃん、S組のとしぼん、自殺した兄、沖縄で出会った人たち、そういう人たちを傷つけてしまっていた、彼らの優しさに気がつかなかった、そんな自分はアホだと繰り返し繰り返し反省する。しつこいくらい反省する。 でも、Mさんのことは遂に思い出さず終いである。引用した部分以外は。 はたからは「それって思い過ごしかもよ」とも見えるタっちゃんやとしぼんのことは自分の身に引き寄せて延々自戒するくせに、明らかに傷つけ、利用したMさんのことは反省しない。 悪いと思ってないだろ、お前。 美しい思い出にしてるな。 奥さんを殴るタイプに似ているというのは、こういうところ。 子どもは好きだが、女性は男性に仕える者くらいにしか思ってないのじゃないだろうかと思います。 女性など眼中にないというのは、まあ、ある意味"公教育"の原理に忠実と言えば言えるのかもしれないが。 そういう意味では"教育者らしい教育者"なのかもしれない。 でも、この話は長くなるのでしない。 http://members.tripod.co.jp/skeita/ |
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1843 | 兎の眼 投稿者:真理子・Y 01/06/13 Wed 15:41:29 |
えっと.灰谷さんのエッセイについて,話すのは難しいので,私なりに、物語の感想を話そうと思います. 今日は,『兎の眼』です.学校のお弁当の時間に,読みなおしたのですが、私が一番感動したのは、ぼくは心がずんとした.と,泣くな小谷先生です.ぼくは心がずんとしたのほうは,鉄三の作文が、少し無理やりのようなところがあったような気がしますが、でも、それを読んだ時の小谷先生の気持ちを考えるとやっぱり、感動です. 泣くな小谷先生のほうは,最後のほうの足立先生の発言が、強烈です. 小谷先生には問題児もちえおくれも学校の教師もなにもない.みんな悩める人間だったんだ.というところは、灰谷さんの声がきこえてきそうです.あと,ちえおくれといわれ,問題児とかげぐちをたたかれた子供を小谷学級の子供達はあたたかく受け止め、先生も含めてみんながどろだらけになって,いきてきた. というところ、最後の生きてきたを,すごしてきたと,書かないところが、灰谷さんのいいところではないかな?と,おもいます.他にもいろいろと,書きたいのですが、期末テストをひかえて,いる上,社会は小テストをやると,言うのでべんきょうしなければいけません.なにやら,わけが,わからない書きこみかもしれませんが,私なりに、がんばりました. |
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1844 | 兎の眼 投稿者:相馬契太 01/06/13 Wed 20:39:23 |
仕事から帰ってきてから『兎の眼』を読み返してみました。 こんな小説きたないわ。「ぼくはこころがずんとした」で泣かないやつなんかいないっての。 俺は年寄りに弱いので(『橋のない川』でもおばあさんが出てくると涙腺が緩む)、バクじいさんがそっと涙をぬぐったりしてるともうそれだけでやられてしまう。 初めて読んだのは小学生のときで、処理場移転の話などはよくわからなかった。いま読み返すと、書いてあることはわかるが、意味合いはなんだかよくわからんラストだ。 それまでにもけっこうほったらかしのエピソードなんかもあって、恐らくこの作品は相当短期間に一気に書かれたものなのではないだろうか。でも、それがテンポのいい文章とあいまって効果をあげている。 実際、学校生活や日常生活なんてそんな1本線にはならないんだから、かえって辻褄合わないくらいが丁度いいのかもしれない。 >社会は小テストをやると,言うので 小テストと聞くと燃えるな。問題教えて下さい。 |
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1845 | 女性は教科書 投稿者:加藤浩司 01/06/14 Thu 00:26:19 |
真理子さん、感想ありがとうございます。 考えてみると、小中学生の頃は読書感想文(というより作文全般)ほど苦手なものはなかった。今でも苦手だ。 やけを起こして「○○君は偉いと思う。私ならくじけてしまう」とか書いてしまおうか。 「兎の眼」は確か2〜3週間で一気に書かれたはず。神経症に苦しみながら書いたという「太陽の子」と対照的である。 灰谷氏の女性観(というより恋愛観)で気になったのは、「女性は教科書だ。教科書は多い方がいい」とかいう主旨のエッセイ。いい方にも悪い方にも解釈できるけれども、読んでいてちょっと嫌な気分になった。 |
1846 | 『兎の眼』は傑作か 投稿者:相馬契太 01/06/14 Thu 10:27:19 |
このHPのメインの文章を初めて(?)ちゃんと読んでみました。 2点。 ●小谷先生の家庭崩壊について 夫の言い分が全く書かれていない。一方的。というのはあたらないでしょう。 この作品は基本的に"小谷先生の視点"で書かれているのだから、見方が一方的なのはむしろ当然で、逆に夫の立場が一方的で理不尽なものとして捉えられるくらいでちょうどいい。 それに、あんな具合だよきっと。夫婦仲が壊れるときって。 "小谷先生の視点"というのは、基本的にどの場面にも小谷先生がいること、いない場合には「小谷先生が見たら〜」というような文章が入っていることから判断できる。 ●学校人になる 学校の先生が、学校にきている子どものために東奔西走するのだから、帰結は「学校と上手くやっていく」になって当然でしょう。 そうでなければ、主人公は学校の先生じゃなくてもいいのだから。 先生が主人公だから、「学校お薦めシステム」を選択しただけ。 それが社会の役に立ったのは偶然で、実際喜んでるのは大人ばかりで、肝心の鉄三や子どもたちは「かなんなァ」という態度なのでもわかる。 問題なのは「学校人になることでなにがスポイルされたのか」で、作品を見ればなにもスポイルされてはいない。 「学校以外にも学び場はある」というのは処理場の子どもたちが実践してることで、それを前提にした「学校という学びの場」なのだから、そこに入り込むことにさほど問題を感じないのだが。 少なくとも、これを読んで「学校のシステムはいいものだ」とは思わないと思うけれども。「学校でもいいか」とはなっても。 かなり乱暴なものだが、まあ、感想を書いてみました。 http://members.tripod.co.jp/skeita/ |
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1847 | 海の図 投稿者:加藤浩司 01/06/15 Fri 01:20:50 |
女性観といえば、長編「海の図」では高校生のレンアイが描かれている。そこでは、灰谷氏がそうであったようなものとは対照的な関り方がある。 根っ子に持っている意識は別にして、とりあえずイデオロギーとしては、こう考えているのだなということがわかる。作品としては理念先行の観があって、あまり人気もないようだけれど。 > このHPのメインの文章を初めて(?)ちゃんと読んでみました。 久し振りにざっと読み返したら、トロ臭い文章にゲンナリ。 > この作品は基本的に"小谷先生の視点"で書かれているのだから、 > 見方が一方的なのはむしろ当然で、逆に夫の立場が一方的で理不尽なものとして > 捉えられるくらいでちょうどいい。 問題は、あの夫婦の亀裂は夫がバカなのが原因だという見解を、小谷先生がというより作品そのものが示していることだと思います。 小谷先生の振る舞いが一方的であったことを批判する構図が一切なく、むしろ全面的に支持している(と思う)。つまり読者は「ソーダソーダ、夫が悪い」と小谷先生に同調することを求められている。 |
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1848 | 児童文学作家 岡田淳の本の人気投票開始! |
投稿者:プロフェッサーPの助手
01/06/15 Fri 01:27:13 児童文学作家 岡田淳の作品人気投票はじめました。ぜひ、投票にきてくださいね。 http://multianq5.uic.to/mesganq.cgi?room=junbee |
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1849 | う〜む 投稿者:相馬契太 01/06/15 Fri 14:47:35 |
>問題は、あの夫婦の亀裂は夫がバカなのが原因だという見解を、 >小谷先生がというより作品そのものが示していることだと思います。 >小谷先生の振る舞いが一方的であったことを批判する構図が一切なく、 >むしろ全面的に支持している(と思う)。つまり読者は「ソーダソーダ、 >夫が悪い」と小谷先生に同調することを求められている。 う〜む。それのなにが問題なのかがわからないのです。 あの作品は、小谷先生のモノローグで綴られているのと同じだと俺には思えるので、むしろ夫の視点に立たないことが必要なのではないか。 読者が小谷先生に同調することを求められているのは、この作品全てにわたって言えることですよ。 もう、小谷先生が好きか嫌いかで読むしかない作品だと。 だから、モノローグで綴られているようなもんなんですね。 処理場移転の話がぼやけるのはそこです。 あそこで急に足立先生が主役になる。 読者はドラマを俯瞰する立場になります。 エッセイの書き手が突然第三者になるようなものです。 ハンストするのは小谷先生でなければいけなかった。 それで、一教師の成長がクライマックスに達しますから。 そうならなかったのは、灰谷健次郎の迷ってきた部分、弱かった部分を小谷先生に託し、自分の理想像を足立先生に託してしまったからじゃないかと思いますね。 http://members.tripod.co.jp/skeita/ |
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1850 | やり直し 投稿者:加藤浩司 01/06/16 Sat 00:01:43 |
うむ、説明がまずかったかなと思っていたが、やはりまずかった。あれではわかりにくい。やり直し。 言い換えれば、夫婦の亀裂は<小谷先生の覚醒の象徴>として描かれているのだから、小谷先生は客観的に見ても「正しい」振舞いをしていなきゃならないじゃないかと。 「双方の身勝手によるありきたりな諍い」ならば、物語において何ら意味をなさないわけで、夫婦の亀裂を描く意味がない。 つまり夫のダメさ加減がもう少し克明に描かれ、なおかつ小谷先生に歩み寄りの姿勢がもう少しあった上で「この人とはやっていけない」なら、河合氏や灰谷氏本人によるああした批判は出なかったと思います。 問題は、手法として「小谷先生の視点でのみ描かれている」ことではないんです。 |