Faiscas(ひらめき?)は1978年にペドロ・アイレス・マガリャンエスが結成したパンクバンドである。CDはリリースされていない。
Corpo Diplomático(外交団)は1979年にペドロ・アイレス・マガリャンエスが結成した6人編成のニューウェーブのバンドで、「Musica Moderna」(現代音楽?)という1枚のCDを出している。メンバーの中にはカルロス・マリア・トリンダーデがいた。
エロイス・ド・マール(Heróis do Mar/海の英雄)は1980年にペドロ・アイレス・マガリャンエスが結成した5人編成のロックバンドである。1983年に「アモール」がヒットチャート1位となって以来、シングルは殆どが1位になるほどの人気を獲得した。後にマドレデウスに加入するカルロス・マリア・トリンダーデもメンバーの一人だった。マガリャンエスが担当していた楽器はベース、トリンダーデは恐らくキーボード担当である。
デビューアルバム「Heróis do Mar」(1981)や、最高傑作と評される3枚目の「Macau」(マカオ/1986)を含め計4枚のアルバムを発表した後、1990年に解散したエロイス・ド・マールは、ポルトガルでは「1980〜1981年に現れた“ロック第一世代”を代表するバンド」と位置付けられている。彼らのアルバムはスペインやフランスでもリリースされた。
グループ名「Heróis do Mar」は、ポルトガル国歌「A Portuguesa (hino nacional português)」の歌詞の冒頭から取ったもののようだ。
解散8年後の1998年にオポルトでコンサートを行ったとのことである。
セッティマ・レジアン(Sétima Legião/第七部隊)は1982年にロドリーゴ・レアンとガブリエル・ゴメスが結成した8人編成のロックバンドである。
1984年に発表されたデビューアルバム「A Um Deus Desconhecido」(「未知の神へ」?)に収録された「A Partida(Versão)」(旅立ち)は、1980年代ポルトガルのロックの代表的な曲のひとつと評されている。
ケルト音楽の要素を取り入れた彼らの音楽は耳あたりが柔らかで、マドレデウスとのギャップはさほど大きなものではない。
レアンが主に担当していたのはベース、ゴメスが担当していたのはアコーディオンである。
マドレデウス結成後も活動を続けており、1998年には6枚目のアルバムを発表している。尚、1989年に発表されたアルバム「De Um Tempo Ausente」にテレーザ・サルゲイロとフランシスコ・リベイロがボーカルとして参加している。
1985年にペドロ・アイレス・マガリャンエスがソロのマキシシングルを出したということだが、詳細は不明である。
1980年代のポルトガルを代表する2つのバンドのメンバーであるマガリャンエスとレアンが、ポルトガルのポップスの低迷を打破すべく手を組んだのは1985年のことである。
2人はまず2台のアコースティックギターのための曲を作り、それにマガリャンエスが詩を付けた。そして同年、アコーディオン奏者のゴメスも彼らに加わることになる。翌1986年にはマガリャンエスの友人のチェリスト、フランシスコ・リベイロが加わった。
メンバー探しで最も難航したのが女性ボーカリストである。最初に行ったオーディションでは彼らの類まれな音楽性に見合う歌声の持ち主は現れず、計画はそこで足踏みする。
「その声」に最初に出会ったのは、レアンとゴメスである。ある夜、とあるバーにいた二人の耳に入って来た、1人の少女の歌声。彼女は友人とテーブルに着いてファドを唄っていた。
後にマガリャンエスを「全てのポルトガル女性の心が入っている」と言わしめた彼女の声に顔を見合わせた二人は、17歳のその少女をオーディションに招く。彼女の歌声はマガリャンエスにも認められ、晴れてグループに加わることになった。
かくしてテレーザ・サルゲイロ(ボーカル)、ペドロ・アイレス・マガリャンエス(クラシックギター)、ロドリーゴ・レアン(キーボード)、ガブリエル・ゴメス(アコーディオン)、フランシスコ・リベイロ(チェロ)という5人のメンバーによって、後にマドレデウスと呼ばれ、ポルトガルを代表するミュージシャンとして名を馳せることになるグループの活動が始まった。1986年冬のことである。