マドレデウスの変遷

第1期

80年代ポルトガルのロック界をリードして来たペドロ・アイレス・マガリャンエスとロドリーゴ・レアンが、ポルトガル音楽の低迷を打ち破るべく新たな活動に着手した。その狙いは「ポルトガルの風景を表現すること」と「民俗音楽と室内楽の融合」。彼らが志さんとする音楽は、ロックとは全く異質ものであった。

 民族音楽の要素をアコーディオン、室内楽(クラシック)の要素をチェロがそれぞれ受け負い、更に弱冠17歳にして「全てのポルトガル女性の心が入っている」とマガリャンエスを言わしめた声の持ち主、テレーザ・サルゲイロがボーカリストとして加わり、かつてない風変わりなグループが誕生した。1986年のことである。

結成時(第1期)の編成
ボーカル テレーザ・サルゲイロ
クラシックギター ペドロ・アイレス・マガリャンエス
キーボード ロドリーゴ・レアン
アコーディオン ガブリエル・ゴメス
チェロ フランシスコ・リベイロ

 苦心の末ようやくメンバーを揃えた彼らは、リスボン東部のマドレ・デ・デウス(神の母?)という場所にある修道院を借りて音作りに着手した。そこには、マガリャンエスのバンド「エロイス・ド・マール」やレアンのバンド「セッティマ・レジアン」のメンバーも足繁く通い、アイデアを出し合ったという。いつしか新しいグループは、地名にあやかり「マドレデウス」と呼ばれるようになっていた。

 

1986年冬から翌年春にかけての準備期間を経て、彼らはレコード会社EMIとの契約を取り付けた。既にエロイス・ド・マールとセッティマ・レジアンでの成功があったことも手伝って、話はスムーズに進んだようである。
 問題となったのは録音のためのスタジオで、貸りられるまでに数ヶ月待たねばならなかった。そこで、なんと彼らは、それまで練習に使っていた教会での録音に踏み切った。音を立てぬよう裸足で忍び足で歩き、また近くを通る路面電車に悩まされながらの録音だったという。

 

1987年7月28〜30日に19曲を録音し、うち16曲を収めたデビューアルバム「Os Dias da MadreDeus」(マドレデウスの日々)を12月初頭に発表した。(当初2枚組みLPだったとも言われるが未確認。また現在市販されているCDに収められているのは15曲で、「A Estrada do Monte」という曲が抜けている。)

またアルバム発売に先立ち、11月29、30日にはそれぞれポルト、リスボンでセッティマ・レジアンの前座のような格好で聴衆を前に初めて演奏した。音響機器(PA)の故障というトラブルに見舞われながらも、予想以上の成功を収めたという。

初ライブの成功と相まってデビューアルバムはポルトガルで極めて好意的に受け入れられ、後に「ポルトガル音楽の転換点の象徴」とまで言われるようになる。

 

ポルトガルにおけるマドレデウスの地位を確固たるものとし、また世界的人気を獲得せしめたのは、1990年12月に発表された2枚目のアルバム「海と旋律」である。これはポルトガルのディスク・チャートで1位となり、更にはゴールド・ディスクを受賞した。

これを機にマドレデウスはヨーロッパ各地で盛んに公演するようになり、いずれも成功を収めた。1991年のリスボンでのコンサートでは、ポルトガルを代表するギターラ(ポルトガルギター)奏者、カルロス・パレーデスとの共演も実現。これを収録したのが、2枚組ライブアルバム「ライヴ・イン・リスボン」である。

 

 初めての来日公演を果たしたのは1993年。この年に加入した2人目のクラシックギター奏者、ジョゼ・ペイショートもこの公演に参加している。ホンダ・アコードのCMに「海と旋律」が流れて注目されたのもこの年である。

第2期

最初の転機は1994年に訪れる。

「Os Dias da MadreDeus」「海と旋律」「ライヴ・イン・リスボン」という3つのアルバムによって世界規模の人気を得るに至った彼らは、「ポルトガルの風景をポルトガル人に向けて表現する」という従来の狙いから、全世界の聴き手に向けて普遍的なメッセージを発信しようという転換を意識するようになった。

1994年に発表された「陽光と静寂」は、その響きに地域性は残しつつも、テレーザ・サルゲイロの歌唱力の飛躍的な向上と相まって、彼らの狙い通り普遍的な広さと透明感、そして限りない深さを湛えた大傑作となり、マドレデウスの名声を一層不動のものとした。

また、同じ1994年にマドレデウスはヴィム・ヴェンダース監督の映画「リスボン物語」のサウンドトラック「アインダ」も発表している。(マドレデウスはこの映画に出演もした。)

この2枚のアルバムには、1993年に加入したジョゼ・ペイショートも名を連ねている。彼を加えた6名で活動した時期を仮に第2期と呼ぼう。

尚、これらのアルバムに参加しているロドリーゴ・レアンは、間もなくマドレデウスを脱退することになる。アルバムが発表された1994年の来日公演でキーボードを担当していたのはカルロス・マリア・トリンダーデである。(これを収録したライブビデオが「ライヴ・イン・ジャパン1994」である。)

第2期の編成
ボーカル テレーザ・サルゲイロ
クラシックギター ペドロ・アイレス・マガリャンエス
ジョゼ・ペイショート
キーボード ロドリーゴ・レアン
(カルロス・マリア・トリンダーデ)
アコーディオン ガブリエル・ゴメス
チェロ フランシスコ・リベイロ

第3期

確固たる地位を築くと共に上昇気流に乗り続けていたマドレデウスが激震に見舞われたのは1997年のことである。

アコーディオン奏者のゴメスとチェロ奏者のリベイロの脱退。当初「民俗音楽と室内楽の融合」という狙いでもって導入された、言わばマドレデウスの個性を最も体現する2つの楽器を失ったのである。経緯は定かではないが、ファンにとってはもちろんのこと、残されたメンバーにとっても異常事態であったのは想像に難くない。

存続の危機すら囁かれる中で発表された新たな編成(仮に第3期と呼ぼう)に驚かぬ者はなかった。

第3期の編成
ボーカル テレーザ・サルゲイロ
クラシックギター ペドロ・アイレス・マガリャンエス
ジョゼ・ペイショート
キーボード カルロス・マリア・トリンダーデ
アコースティックベース フェルナンド・ジュディス

アコーディオンもチェロもない。なぜベースなのか。急場しのぎの代用品か。これがあのマドレデウスなのか。そんな非難の声も飛び交ったことだろう。

しかしこうした雑音を、彼らは同年に発表したアルバム「風薫る彼方へ」で鮮やかに消し去ってみせたのである。のみならず、新生マドレデウスは歓迎の声でもって迎えらることになる。

ポルトガルの地を連想させる「海と旋律」とも違う、限りなく透明な「陽光と静寂」とも違う、温かさと広がりを感じさせる新しいマドレデウス。メンバーと編成の大幅な変動にもかかわらず、「完璧な調和」と讃えられたその一体感はいささかも揺るがない。ファンの動揺をよそに、彼らはまたも極上のアルバムを作り上げてしまったのである。

翌1998年には、「風薫る彼方へ」に5つの未収録曲を加えた2枚組ライブアルバム「ライヴ・アット・オポルト」も発売し、ファンの喝采を浴びた。

また、2000年に発売された初のベストアルバム「アンソロジー」に収録された新曲「希求」はボサノバ風の異色作で、果て無き苦悩と一体となって迫るその解放感は、これ1曲のためにこのアルバムを買っても損はないと言っていいほどの魅力に満ちた名曲である。

第3期その後

存続の危機(と周囲が勝手に思い込んだ事態)をあっさりと乗り越え、ファンを驚かせたマドレデウスは、2001年に新作「ムーヴメント」にて更に大きな驚きをもたらした。

「風薫る彼方へ」でとうに完成されていたかに思われた新生マドレデウスの世界は、その一体感と多様性に一層磨きが掛かり、同じくとうに極められたかに思われていたテレーザ・サルゲイロの歌声の進化もまた天井知らず。

これまでとは打って変わった前衛的とも思える作品もいくつかあり、それはつかみ所がないようでいながら、聴き手の胸を深くえぐる。

一体マドレデウスはどこへ行ってしまうのか。これからの彼らに思いを馳せると、我々は期待感とも恐怖心ともつかぬ得体の知れない感慨にとらわれる。「ムーヴメント」のライナーノーツの、「変わっていない」を連発して安心したがるだけの寄稿文など愚の骨頂と言えよう。

 

マドレデウスの特筆すべき点として、結成以来あらゆる時期に「代表作」と呼ぶにふさわしい名曲を生み出していることが挙げられる。

一流ミュージシャンといえども、初期にあまりに優れた曲を作ってしまったがゆえに、何年経ってもコンサートの人気曲が初期の作品に集中してしまうというケースはままある。しかしマドレデウスはどうだろう。「海と旋律」(1990)、「コンセルティーノ」(1994)、「たとえ何があっても」(1997)など、彼らの代名詞とも言える曲をあらゆる時期に持っているのだ。2001年の日本公演でのアンコールで、新しい部類に入る「たとえ何があっても」が流れ出した時の聴衆の反応は実に印象深いものであった。

とは言うものの、ますます磨きの掛かる彼らの音楽の深遠さには目もくれず、変わり行くマドレデウスを受け入れらずに自分がファンになった頃の姿をただひたすら追い続けるタイプのファンがいるのも、悲しいかな事実である。先に述べた「ムーヴメント」のライナーノーツを執筆した服部のり子なるライターなどはその典型であろうし、2001年の来日公演では、初期の曲が流れ出すと「昔の曲にしか興味ないよ」と言わんばかりに大袈裟な拍手をしてひんしゅくを買っている手合いもいたくらいである。

昔の姿を追う気持ちはわからなくはない。私にとって、初期の編成での彼らの演奏を一度も生で聴くことができなかったのは痛恨の極みだ。「いつかどこかで」という淡い期待もないわけではない。「昔の方が好き」と言う人がいるのも当然だ。だが、それにばかり囚われ続けるのがいかにもったいないことであるかは、近作の「風薫る彼方へ」や「ムーヴメント」を聴けば簡単にわかることではないか。

マドレデウスが今後も次々と示してくれるであろう「何か」を、私はただ座って待つだけだ。

(この項つづく)

参考資料:旧オフィシャルサイトの掲載文(現在は閉鎖)

 

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