1.「兎の眼」は傑作か
99.4.23

− 序 −

 灰谷作品の中で最も読まれているのは「兎の眼」であり、最も多くの批判に晒されているのも「兎の眼」であろう。既に作者自身が「欠点の多い作品」と明言し、その後いくつもの作品を書いている以上、「兎の眼」だけで灰谷文学を論じるのは乱暴すぎるというもの。
 が、それ以降の作品にも「兎の眼」との類似点は数多く見受けられ、灰谷文学を論じる上で今なお欠かせない作品であるのもまた事実。
「兎の眼」には良くも悪くも灰谷文学の特色が凝縮されている。従って、まずは「兎の眼」に焦点を絞って話を進めたい。まずは「兎の眼」がどのような物語であるか、ごく簡単に紹介しておこうと思う。
 物語は二十二歳の新人女教師、小谷先生が小学一年生のクラスに赴任する日から始まる。可愛らしい生徒達を前に、小谷先生にっこりご挨拶……とはならず、


 一年生の担任である二十二歳のこの先生は、第一日目からはげしい衝撃を受ける。教室に足を踏みいれるなり、まっぷたつに引きさかれた蛙、赤い花のようにとびだした内臓、それを取りかこむ形でにらみあっている子どもたちを見てしまうからである。理由を問いただす気持の余裕などない。小谷先生は職員室に駆けもどると嘔吐する。「『まがり角』の発想」(上野瞭)


 こうした極めてショッキングな場面に始まるこの物語。
 初めは何をどうしてよいかわからず途方にくれる小谷先生だが、子供達と真摯に向き合うことで自分自身を変え、ひいては子供達を変え、クラスを変えて行くというのがおおよその展開である。
 小谷先生以外の主要人物の顔触れは、一見だらしないが生徒からも父兄からも信望の厚い足立先生、自閉症児の鉄三(蛙を引き裂いた生徒)、鉄三の祖父のバク爺さん、知恵遅れのみな子、小谷先生のとんまな夫(小谷先生は新婚である)といったところ。


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